よみうり進学メディアの特集「これが高校の授業だ」の取材が、今日でひとまず終了した。
 4校を訪ね、4人の先生の授業を見せてもらった。これから記事を書く作業に入る。

 この特集を始めたときから、自分の中で一つだけルールを決めている。
 授業は、始まりのチャイムから終わりのチャイムまで全部見る。
 途中から入ったり、途中で抜けたりはしない。つまみ食いはしない。せっかくならフルコースでいただく。
 これは授業を見せてくれる先生への、自分なりの敬意である。
 
 私も昔、少しばかり高校教員をやっていた。
 授業には「導入」があり、「展開」があり、「まとめ」がある。この三つがそろって一つの授業になる。
 だから見るなら全部見る。
 現役時代、人に授業を見られること自体はそれほど嫌ではなかった。ただ、ほんの一部分だけ見て、ああだこうだと言われるのは御免だった。
 見るなら最初から最後まで見てくれ。
 そう思っていたので、自分が見る側になった今も、そのやり方を守っている。
 何なら授業が始まる前の休み時間から教室に入り、生徒の様子を眺める。授業が終わった後もしばらく見る。
 授業中とは違う先生と生徒の表情が見えることもある。

 今日は浦和から少し遠い学校まで出かけ、6時間目の授業を見た。その後、担当の先生にインタビューしたので帰りが遅くなった。
 まあ、帰り道に少し寄り道したせいもある。
 というわけで、今日は短めに。

◆昭和の教員にはなかった授業
 今回見学した4人の先生の授業には、一つ共通する印象があった。
 昭和の教員である私などが経験してきた授業とは、かなり違うのである。

 もちろん私の時代には、タブレットもプロジェクターも電子黒板もない。だから授業スタイルが違うのは当たり前だ。
 だが、違いは道具だけではない。
 いわゆる知識伝達型の授業は、かなり後退している。
 先生が前に立ち、生徒は黙って話を聞き、黒板をノートに写す。それだけで50分が終わるような授業は、少なくとも今回見た中にはなかった。

 生徒が考える。
 生徒同士で話す。
 教え合い、学び合う。

 先生は一方的に教える人というより、生徒が学ぶための仕掛けを作り、必要なときに支える人になっている。
 誰一人取り残さないという意識も強い。(ちなみに私は45人~50人相手の授業しかやったことがない)

◆変わったのは道具だけではない
 もっとも、こうした考え方そのものが昔なかったわけではない。
 生徒主体の授業も、教え合い学び合う授業も、理念としてはあった。
 ただ、それを実現するためのインフラがなかった。

 そして、もう一つ。
 むしろこちらの方が大きかったかもしれない。
 そういう授業を「授業らしくない」と見る空気が、どこかにあった。
 先生は教壇に立ち、きちんと説明し、生徒は静かに聞く。
 それが「良い授業」だという学校文化である。

 今は違う。

 もちろん学校によって差はあるだろうが、先生方はいろいろな方法を試せる。ICTもある。授業研究も進んでいる。そして何より、新しいことに挑戦すること自体が認められやすくなった。
 今回の取材を通して、そんなことを感じた。
 いろいろなチャレンジができる今の先生方が、ほんの少し羨ましい。

 さて、4人の先生が実際にどんな授業をしていたのか。
 それはこれから、記事の中でじっくり紹介しようと思う。