高校授業料が無償化され、「公立か私立か」というこれまでの物差しが壊れた。
 世間では「公立離れ」や「学校淘汰」といった厳しい言葉が飛び交っているが、視点を変えれば、これは日本の教育がもっと面白くなる「夜明け前」なのかもしれない。

 これからは高校教育戦国時代。
 しかしそれは、それは裏を返せば、どの学校にも「自分たちの理想の教育」で天下を狙えるチャンスが来たということでもある。

◆公立は団体戦に強くなる必要がある
 「うちは施設が古いから……」「予算がないから……」と、公立の先生方が肩を落とす必要はない。
 受験生や保護者が本当に求めているのは、大理石の床だろうか、それとも最新のラウンジだろうか。いや、そんな豪華のものは望んじゃいない。せいぜい、きれいなトイレと体育館のエアコンくらいのものだ。令和の日本で、こんなもの贅沢でも何でもない。ごくフツーの要求だ。そのくらいは借金してでもやってくれ。

 公立の逆襲は、実はとてもシンプルなところから始まる。
 それは、「建前」を脇に置き、生徒の「こうなりたい」という願いに真っ向から正対することだ。
 「この学校に来れば、君の夢に伴走する先生がこんなにいる」
 「塾に行かなくても、ここでなら君の限界を超えられる」
 そんな泥臭くも温かいメッセージが、力強く親子の心に響く瞬間が必ずある。

 「いや、そんなことはとうにやっている」
 そうだろう。だから、それを個人ではなく、学校を挙げて、チームで取り組んで欲しいと言っているのだ。
 公立の先生方は、授業にしても何にしても個人戦にはめっぽう強いが団体戦にからっきし弱い。

◆私立の武器は若さ
 一方、私立の先生方もまた、無償化という追い風に安住することなく、新たな地平を目指さなくてはなるまい。
 公立が追いつけないほどのスピード感で新しい学びを取り入れ、生徒に「世界はこんなに広いんだ」と見せつける。それは公立を突き放すためではなく、教育全体の質を引き上げるための「先駆者」としての役割だ。

 私立が提供する独自の付加価値は、公立にとっての刺激になり、公立が磨き上げる教育の質は、私立にとっての良きプレッシャーになる。この切磋琢磨こそが、巡り巡って生徒たちに「最高の学び」を還元する原動力になる。

 公立には100年を超える学校がいくらでもあるが、埼玉県の私立はせいぜい40年か50年の学校が多い。
 武器は伝統ではなく若さだ。
 
 令和の今、少子化という大きな荒波は避けられないが、その荒波の中で各学校が「自分たちにしかできないこと」を研ぎ澄ませていく。そのプロセスこそが、「教育の活性化」ということなのだ。

 制度の壁や予算の制約があるのは仕方ない。
 制約のない世界などどこにも存在しないのだ。
 公立であれ私立であれ、先生が楽しそうに、そして誇りを持って教壇に立っている学校。そんな学校が選ばれ、生き残っていく世界は、決して殺伐とした戦場ではなく、子どもたちにとっての「希望の場所」になるはずだ。

 教育界の片隅で辛うじて生息している私としては、無償化の後に訪れるのが選別と淘汰の時代ではなく、それぞれの学校が個性を爆発させる「百花繚乱の時代」であってほしいと願っている。