卒業式校長式辞を読み続けている。半分は読み終わっただろうか。まとめ記事は間もなく公開予定である。
 
 この時期の校長は多忙である。入試対応があり、年度末の校務整理があり、人事異動がらみの業務がありと、心身ともに極限まで削られる過酷な日々が続く。そんな緊張感溢れる日々の中、旅立つ生徒たちを送り出す準備をしなければならない。多忙なスケジュールの合間を縫って、白紙の原稿用紙と向き合う「式辞」の考案作業は、孤独であり、かつ極めて精神力を要する営みなのだろう想像する。
 その上で、二つのリクエストをする。

◆自身の言葉で語ろう
 校長の式辞や講話において、しばしば古典や偉人の名言が引用される。
 それ自体は、決して悪いことではない。なぜなら、伝統や文化を重んじ、先人の知恵を次世代に繋ぐのが教育という営みであり、学校の役割であるからだ。

 しかし、常日頃先生方が、児童生徒に対し「自ら考え、自分の言葉で表現しなさい」と説いている以上、その範を率先して示すべきは、壇上に立つ校長その人ではないだろうか。

 ここで重要になるのが、話の構成(順序)である。
 つい有名な言葉を「前振り」に据え、それを解説する形で話を構成したくなる誘惑に駆られることもあるだろう。
 しかし、本来の主役は、日々校内を歩き、生徒たちの喜怒哀楽を間近に見てきた校長自身の「観察」と「感慨」であるはずだ。

 まず、この数年間で生徒たちがどのように成長したか、その「生身の姿」を自身の言葉で称える。その個人的で具体的な思いを語り尽くした後に、その考えを支える「補強材」として、初めて名言の力を借りる。この順序であってこそ、言葉に体温が宿り、聞いている生徒や保護者の胸を打つメッセージとなる。

 目の前の生徒たちのエピソードから入り、その上で、「このことを、かつて有名な〇〇はこう表現しました」という感じか。
 引用はスパイスであって、メインディッシュではない。

◆卒業式の持つ「公共性」
 次に、卒業式は内輪のお祝い事かという視点である。
 入学式や卒業式が他の式典と決定的に異なるのは、その「公共性」にあるのではないか。これら式典に地域の小中高校長が、あるいは自治体の首長が参列するように、地域社会が一体となって子供たちの成長を祝う「公共の儀礼」としての性格があると思うのである。

 ゆえに、当日語られた式辞は、校内だけで完結させてはいけない。
 実際、ホームページ等で式辞の全文や要約を公開している学校は、まだ半数に満たない状況だが、当日参列できなかった保護者もいるし、教え子の卒業を見ずして異動して行ったかつての担任教師もいるのだ。
 さらに。
 地域の方々にとって、校長がどのような哲学を持って子供たちを送り出したかを知ることは、学校への信頼を深める大きな鍵ともなる。

 もちろん、多忙な中で文書をデジタル化し、公開の手間をかけるのは容易なことではない。しかし、校長が心血を注いで紡いだ言葉は、その学校の教育方針を象徴する「無形の資産」である。それをアーカイブし、校外へも広く開いていく姿勢こそが、現代の「開かれた学校」の姿を体現するのではないだろうか。(式辞のアーカイブかについては以前も書いた)

 「自分の言葉」を先に置き、名言を「補強」に使う。
 そして、その結実であるメッセージを、地域という広い器へ届けてほしい。
 儀礼を超え、校長の「体温」が伝わる式辞が一つでも多く発信されることを、切に願うものである。