唐突だが、厚生労働省のサイトに、こんなのが載っているよ。
 

 「生活保護の申請は国民の権利です」。
 そう。言論の自由も権利、表現の自由も権利、職業選択の自由も権利。
 それと同じように、「健康で文化的な最低限度の生活を営む」ことも権利(日本国憲法25条)。
 だから、生活保護を申請するのは国民の権利。

 「生活保護を必要とする可能性は誰にでもあるものです
 これもそう。
 なんだが、「いやいや、自分はそうはならないよ」と思う方が大部分だろう。
 それでよろしい。

 ただ、生活保護受給者になったり、ホームレスになったりする可能性は、たしかに誰にでもあるんだよ。
 その可能性は高くはないがゼロではない。
 また、今は健常者であっても、いつ何時障がい者になるか分からない。

 でも、何があろうと人が人として生きる権利は奪われない。
 これが、長いことかかって、われわれが得た結論であり、われわれが作り上げてきた社会だ。
 未だ完全とは言い難いが、向かうべき方向はそこしかない。

 「俺は人よりたくさん税金を納めている」。
 はい、ご立派。
 そういう方が大勢いれば有難い。大いに助かる。
 ただ、威張る話じゃない。
 他人が褒めたたえるのは自由だが、自分で言いふらす話じゃない。

 税金の「応能負担」って、学校で習っただろ。
 払える人がたくさん、そうでない人は少し、場合によってはゼロ。
 これが平等の原則に反しないっていうのも、われわれが得た結論。

 と、ここまで書けば、というか、そこに至らずも、今日の話がメンタリストDaiGo氏の炎上騒ぎを念頭に置いていることはお分かりだろう。
 まあ、かれはユーチューバーという芸人で、炎上を一つの芸風としていると考えることもできる。
 つまり、計算づくの炎上。
 むしろその可能性が高い。決して無知なわけではないだろう。
 が、チャンネル登録者が250万人ほどいて、それなりに若い人への影響力があることを考えると、芸風だから仕方ないと見過ごすわけにもいかない。

 もし本心からそう思っているのであれば、これはいわば教育の失敗とも言うべき事態で、こういう人間を育ててはいけないし、こういう人間を英雄視し、崇拝するような人間を育ててはいけない。
 と、年寄りは余計な心配をしてしまうが、ま、「また、やってらあ」と意外と冷静に眺めている若者の方が多いのかもしれない。