参議院選挙が終わった。
 最終盤、思いもかけぬ事件が起こったが、結果については概ね事前の予想通りとなった。

 投票率は52.05%だった。
 前回2019年の48.80%を僅かに上回ったが、過去4番目の低さであり、依然として低水準で推移している。
 
 上記は総務省による参議院選挙投票率の推移である。
 昭和の時代は、最高74.54%、最低57.0%で、60%台、70%台は珍しくなかったが、平成以降60%を超えることがなくなった。

 参議院に比べ衆議院の方がやや関心が高いようで、こちらは昭和時代の最高は76.99%、最低は67.94%だったが、こちらも平成に入って50%台を記録することが多くなった。

 なぜ人々は投票に行かなくなったのか。

 政治に無関心になったから。
 政治に絶望し、期待しなくなったから。
 これは主に、政権に批判的な人々の言い分だ。
 まあ、そういう解釈も出来なくはない。

 が、長く生きてきた私は、別の考え方を持っている。

 昭和は新聞・雑誌しか無い時代だった。
 後半はテレビが登場したが、ネットは無かった。
 政治家の顔など見ることもなかったし、ましてや一般人が政治について己の主義主張を表明する機会や手段など皆無であった。

 よって、選挙というものは一般人が政治参加できる唯一の機会であり手段であった。
 この機会を逃したら、次の選挙まで政治家の顔を見ることもないし、声をかけたりかけられたりすることもない。
 投票(選挙)には、そういうモチベーションがあった。

 だが今は、テレビはもちろんネットで何でも見られる。
 政治家もSNSやYouTubeなどで自ら情報発信する。
 一般人もまた、自らの主義主張を自由自在に発信できる。
 つまり、投票(選挙)というものが、政治参加の唯一の機会・手段ということではなくなった。

 別に投票(選挙)に行かなくたって、世の中は変えられる。
 と、そこまでは言い過ぎだが、ネットが普及した今日、投票(選挙)に対するモチベーションは、昔ほどではない。
 だから、投票率は高まらない。
 というのが自分流解釈だ。

 もちろん、最終的には投票という行動抜きには、政治の枠組みは変えられないわけだが、一票を投じなくても政治に関与し、何らかの影響を与えることが可能になった。
 大げさに言えば、民主主義のあり方というか、運用方法が変って来たとも言える。

 だとすれば、ただ投票に行きましょうとか、国民の権利ですと叫んだところで投票率は高まらないのである。

 投票(選挙)でしか出来ないのは、政権を変えることである。
 マスコミやネットが作り出した世論により、現政権の方向性を修正することはできるかもしれない。
 だが、政権そのものを変えられるのは投票(選挙)によってのみである。
 つまりこれは、政権を選択する余地の無い投票(選挙)は行っても無駄ということを意味する。

 負けるはずがないと思っている与党と、勝つ気がない野党との戦いに誰が関心を持つかという話だ。