ワールドカップのテレビ解説で本田圭佑が年下選手を「さん付け」と呼んだことが話題になっている。
 スポーツ中継でいちいち「さん付け」は要らんだろう。
 「さん付け」はヒーローインタビューからでいい。
 ただ、これが本田圭佑の自身によるイメチェン戦略だとしたら、見事に成功している。
 
 私はサッカー界にそれほど詳しいわけではないが、これまで本田圭佑は年上でさえ呼び捨てしそうな雰囲気を漂わせていた。
 少なくとも私はそう見ていた。
 それが、いきなりの「さん付け」である。
 そうか。こういう一面もあったのか。

 意外と礼儀正しい人なんだ。
 威張ってないんだ。
 と、好感度爆上がり。
 
 今回のワールドカップで評価を上げたのは、監督の森安、ゴールを決めた三苫や堂安だろうが、これに本田圭佑を加えてもいい。
 (注:森安じゃなく森保だと読者からの指摘あり。確かに。校正が甘かった)

◆学校で子供に「さん付け」
 以前にも書いたかと思うが、学校における「さん付け」問題である。
 
 まず、先生が児童生徒をどう呼ぶか。
 今は性別問わず「さん付け」が良いとされているようだ。
 「声の大きな少数派(ノイジー・マイノリティー)」の声が持ち込まれた典型だろう。
 学校というところは、外部からの攻撃にたいする防御能力が低いのだ。

 「さん付け」で人権意識が育つとも思えんし、いじめがなくなるとも思えん。
 社会に出てから困ると言う人もいるが、社会で困るのは、時と場合と関係性の中で、さまざまな呼称を適宜使い分けられないことである。
 「さん付け」に統一して、何かを成し遂げたと勘違いしないように。

◆先生同士、どう呼び合うか
 次に、先生が先生をどう呼ぶかである。
 私の初任の学校では、年齢に関係なく「さん付け」だった。
 だから私も、年下に対しても「さん付け」した。
 何の抵抗もなかった。

 異動した学校では「先生付け」だった。
 「さん付け」が10年続いたので、最初は少し戸惑ったがすぐに慣れた。
 結局、その程度のことだ。

 先生は敬称、あるいは尊称なのであるから、先生同士の関係ではおかしいのではないか。
 年配のベテランが大学でたての新人に先生とは変じゃないか。
 そういう考えもある。
 が、年齢や経験年数などによっていちいち使い分けるのも面倒だ。
 ここは全部まとめて「先生付け」。
 さもなくば「さん付け」。

 うちの学校はこうだと決めて、後から入ったものはそれに合わせる。
 これで何の問題もない。

◆そんなことで業績は上がらない
 どうもわが社は風通しが悪い。
 部下が上司に対してものを言いにくい。
 ここは思い切って役職、年齢に関わらず「さん付け」で呼び合うにしよう。
 社内の風通しがよくなって業績も上がるだろう。

 改革好きのトップがやりがちなことだ。
 が、こんなんで業績が上がるはずない。
 数ある改革の末端に入れておくのはいいが、ここから始めるのはばかげている。
 
 せいぜい改革した気分を味わえるという程度なので、学校の校長は、決して真似しないように。