久しぶりに自分のFacebookを見てみた。
最初の投稿が2011年12月とあるから、な、何と11年のキャリアがあるではないか。
その間、どれだけ投稿したか調べようと思ったが、方法がよく分からん。
たしかなことは友達が124人だということだ。
少なっ。
ま、別にいいけどな。
ついでにTwitterの方も確認してみたが、こちらは2017年3月から始めて5年半。
フォロワーは101人。
ワンちゃんかッ。
あとInstagramやYouTube動画もあるが、どれも似たようなものだ。
まあ私くらいの年齢(来年、年男)になれば、SNSやってる方が少数派だろうから、アカウントあるだけまし。
若い人は、そういって慰めてくれる。
いや、お世辞を言ってくれる。
◆ブログは素振りだ
唯一ブログだけは執拗に続けている。
これは、いわば素振りである。
書く仕事で生計を立てているので、少しでも劣化ペースを遅くするため、日々の練習を欠かさない。
人間、60、70になって成長するなどあり得ず、退化、衰退するのみだ。
いつか考えることも書くこともできなくなる。
その日の到来を一日でも先送りするための唯一の方法が素振りである。
◆基本は永遠に続けることを言う
勉強でもスポーツでも基本が重要と言われる。
しかし、基本だけでは勝負にならないので、次の段階として応用に進まなければならない。
そこで初めて実戦に挑めるようになる。
そして実戦こそが技術・技能をさらに磨き上げるための唯一にして最高の機会である。
応用や実戦に進んだ段階では、不要になる技術や、もうやらなくてもいい練習というのがあるだろう。
だが一方、応用や実戦に進んだ段階でも、なおも継続すべき練習というものもあるはずだ。
野球で言えば、キャッチボールや素振りがそれだ。
どんなに一流になっても、これを欠かしたり、疎かにする選手はいないだろう。
そう考えれば、基本とは単なる初心者のレッスンではなく、その仕事をやり続ける限り、永遠に続ける練習のことだと分かる。
そこで、今日の一言。
「みんな。素振りやってるか」。
◆サボるとすぐ見つかる
私が素振りの場としてブログを選んだのは、サボるとすぐに人に見つかるからだ。
みなさんの側には私を見張る意識はないだろうし、だいいちそんな義務も責任もない。
だが、私は自分勝手に、みんなに見られているからサボれない。
そう思い込んでいるのだ。
こういう勝手な思い込みも時には必要なんだよ。
ブログでは正確な友達数やフォロワー数は把握できないが、FacebookやTwitterよりは多い監視役がいるのは確かだ。
みなさん、これからもしっかり見張っていて欲しい。
そこで、今日の二言目。
「みんな。人から見えるところで素振りしようぜ」。
人の見えないところで努力するのが本当なんだろうが、私はそんなに強くない。
誰もみていなければ絶対に手を抜くに決まっている。
だから衆人環視の下、素振りを続ける。
◆面倒な関係は性に合わない
素振りだったらFacebookでもTwitterでも同じじゃない。
かもしれないが、あれって、こっちが読む気なくても連絡が入るし、誰が読んだかもだいたい分かる仕組みだよね。
誰誰と一緒にいますとか、今晩何喰ったとか、そんなことにいちいち反応してられるか。
ホント、面倒くせえ関係性。
それが好きな人には良い仕組みだし、仕事に結びついている人もいるはずだから、別に文句はない。
ただ、自分には向かない。
◆学校SNSをゴミの山にするな
最近は学校も広報活動の一手段としてSNSを利用することが増えてきた。
とりあえず何でもやってみるのはいいことだ。
一つ言えるのは、SNSは更新頻度がものを言うということだ。
継続性も必要だ。
おそらく生徒募集につなげるのが第一の目的だろうが、落とし穴もたくさんあるので注意が必要だ。
更新頻度と継続性を意識するあまり、低次元の情報の山、もっと言えばゴミの山になっている学校もある。
これはブログを10年近く続けている私からの自戒を込めたアドバイスだ。
更新頻度と継続性に固執するとクソ記事が多くなる。
(もしかして、今日もそれかも)
やり始めは試行錯誤でいいと思うが、徐々にコンセプトというか、テーマを明確にしていかないと、結局は学校のブランドイメージを毀損することになる。
それではかえって生徒募集に悪影響を及ぼす。
続けるのは手段であって、それ自体は目的ではない。
良質な情報を、適切な頻度で更新し、その代わり長く続ける。
その点、強く意識しようではないか。
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