一斉授業をする塾がどんどん減って、個別指導塾が市場を席巻したかと思えば、今度は「教えない塾」、「授業のない塾」か。
ネットで検索してみたら、結構な数がヒットしたぞ。
「教えない学校」や「授業のない学校」が成立する見込みは今のところない。それが前提だ。
その上で、「教えない」や「授業のない」をいわば逆張りの形で打ち出したのは、なかなかのビジネス感覚だ。その手があったか。
たしかに過ぎたるは何とやらで、教え過ぎは子供の自由な発想や自主性を奪ってしまうかもしれない。
だが、「教えない」や「授業のない」が成功をおさめ、理想的な結果をもたらせば、塾そのものの存在が不要になってしまう。
授業の形態に関わらず、伸びる子は伸び、伸びない子は伸びないのが実際のところではないかと思うが、民間企業である塾が、自由な立場を利用して、いろいろな方式を試みてみるのは悪くない。親方日の丸の公立学校と違って、効果がなければ淘汰されるわけだし。
私は昭和の時代の教員だから、とことん教えまくるタイプ。その方法しか知らない。
何だと、自分で考えるだって? バーカ、結論は100年前に出てるんだよ。エラーイ先生たちがさんざん考えて結論出してくれたんだ。それ、覚えればいいだろう。考えてる暇あったら覚えちまえ。
ただな、エラーイ先生でもどうしても解けなかった問題が、この世にはごまんと残ってるんだ。人間の進歩っていうのは何て遅いんだ。
だから、さっさと覚えて、早く考える人になってくれよ。
というわけだから、私に「教えない」は無理。
「先生、もうお腹いっぱいです」と言われても口に無理矢理押し込み、耳からストローで流し込む。どうだ参ったか。
結局、私の頭の中は昭和のままなのだ、そこで止まっている。
注)念のため。タイトルの「無理ゲー」は、「無理なゲーム」を略して「無理ゲー」。クリアが困難であったり不可能な(無理な)コンピュータゲームのことを指す用語なのだが、この使い方で合ってるか?
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