受験指導に欠かせないのは、受験生としての自覚や意欲を高めさせること。ではないかと、かつての経験から思うのである。
やる気を引き出す指導ということだが、日々の授業だけでは難しい。本当は、日々の授業こそがもっとも有効な手段なのであるが、それを生かすために様々な進路行事を企画する。
進路行事はいくらやっても、そこで新たな能力が身につくわけではない。一日限り、一回限りのイベントで学力が向上すればこんな楽ちんなことはない。
しかし、そこで生徒たちに何らかの気づきを与えられれば、学習に取り組む姿勢に変化が現れる。それを期待しての進路行事だ。
今年はコロナの影響で授業進度が大幅に遅れた。
たしかに2か月以上にわたるブランクの影響は大きいが、これについては何とかばん回できるのではないか。私自身はそんな感覚を持っている。
むしろ痛いのは、やる気を引き出すための進路行事がことごとく中止になったことだ。
先生としては心に火をつける瞬間を失った。生徒としては気持ちを切り替える瞬間を奪われた。
無駄な行事は止めて1時間でも多く授業をと言う人もいるが、その授業を効果的にするために進路行事が必要なのだ。
ある時はショックを与える。ある時は希望を与える。
そうやって巧みに進路行事を織り交ぜながら、生徒の心を作り、授業を深化させて行く。
何の効果も期待できない進路行事を無意味に続けている学校などあるものか。
今年はコロナの影響で全滅だが、私は中学校に講演会で呼ばれることがある。これも中学校側から見れば進路行事の一つだ。
話の内容は当然高校入試であるが、別に世の中で私だけが知っている情報などない。
中学校の先生なら全員が分かっていることだ。
先生方は、次の授業やHRの時間に、「ほらこの間、エライ先生も言ってたでしょう(別に偉くはないが)」と言いたいのだ。
実際、高校教員であった頃の私は、しばしばこの手を使った。
仮に4学級の学校が、午後の2限を使って講演会を実施したとすれば、授業8時間分に相当する時間を受け持つことになる。
こいつは責任重大だ。
最終的には行動変容を促したいのだが、たった1回1時間の講演で実現できるものではない。
だから、きっかけ作りを心がける。
だが、このきっかけというヤツがものすごく重要で、これが上手く行けば、次から担任や教科の先生の話を聞く態度が違ってくる。
そうなれば、使った8時間は簡単に取り戻せて、逆にお釣りがくる。
数日前に学校行事の重要性について書いたが、進路行事もその一部だ。
行事を中止して授業をやれば、保護者も何となく安心し、世間の受けもいいかもしれないが、そんなもんじゃない。
勇気と信念を持って、進路行事を実施してもらいたい。
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