今日は社会科のお勉強だ。昔はこれが本職だった。たぶん入試には出ない内容だが覚えておいて損はないだろう。
一昨日午後、京都市内で仕事上の打ち合わせがあった。一晩泊まり、翌日(つまり昨日)は、視察しておくべき場所があり伏見地区へ。
で、仕事は午前中で終わったので、あとは帰京するのみだが、ここまで来たのだからと伏見桃山陵(ふしみももやまのみささぎ)に寄ってみることにした。
◆明治天皇の陵(お墓)は明治神宮ではない
伏見桃山陵は明治天皇の陵(お墓)である。
なお、皇室典範27条に「天皇、皇后、太皇太后及び皇太后を葬る所を陵、その他の皇族を葬る所を墓とし、(後略)」とある。
「明治天皇のお墓は明治神宮にあるんじゃないか」とお思いの方。
そうではなく、京都に生まれ京都をこよなく愛した帝は遺言により京都に埋葬されたのである。
そもそも、明治神宮が明治天皇を御祭神と仰ぐ神社であることさえ知らない人が増えたが、陵(お墓)は京都にあったのだ。
ちなみに大正天皇、昭和天皇の陵は東京にあるが、歴史上、陵が東京にあるのは、この二例のみである。
陵のほとんどは、京都・奈良・大阪にある。他には滋賀・兵庫・香川(崇徳天皇)・山口(安徳天皇)にある。
◆陵が近畿地方にない天皇
以下、ついでの話。
崇徳天皇(すとくてんのう)は、保元の乱に敗れ讃岐に流されたため、ここに陵があるものと思われる。
中学生には百人一首にある「瀬を早み岩にせかるる滝川の われても末にあはむとぞ思ふ」(崇徳院)で有名。
京都御所近くに白峯神宮(しらみねじんぐう)という神社があり、ここの御祭神が崇徳天皇である。
白峯神宮は、スポーツの守護神を自称している。ニュースで「蹴鞠(けまり)」の映像が流れたら、それが白峯神宮だ。
サッカー関係者がよく訪れるようだが、「(まりを)落とさない」ということで受験生の間でも人気があるようだ。
史上もっとも短命だった天皇が安徳天皇だ(満6歳)。
母は平清盛の娘・徳子(後の建礼門院)。
壇ノ浦の戦い(現在の山口県下関市)で源氏に敗れ、入水(じゅすい)する。
この時の様子は平家物語にも描かれている。
幼帝(安徳天皇)は二位尼(祖母の平時子)に聞いた。「私をどこに連れて行こうとしているのだ」
二位尼は、涙ながらに「極楽浄土というところですよ」と答えた。
幼帝は小さな手を合わせ、伊勢大神宮にお別れを言い、西に向かって念仏を唱えた。
二位尼は幼帝を抱き「波の下にも都はありますよ」と言いながら深い海の底に沈んだ。
以上、テキトーな口語訳。
◆途中、天満宮に寄り合格祈願
話を戻す。
伏見桃山付近は鉄道路線が入り組んでいて、陵から遠い順に京阪電車「伏見桃山」、近鉄「桃山御陵前」、JR奈良線「桃山」となる。
パソコンやらバッテリーやらが満載のキャリーケースをゴロゴロ転がして行くわけにも行かないので、ローカーを探さなければならない。
では、遠い方から順に当たって行こう。
と、思ったところ、京阪「伏見桃山」で運よく空きロッカーが見つかった(400円)。
次の近鉄「桃山御陵前」にはなかったのでラッキー。
途中、御香宮神社(ごこうのみや)という比較的大きめの神社があった。
ここは安産祈願で有名らしい。
じゃあ、あまり関係ない。
が、その一角に桃山天満宮という小さな社があった。
天満宮と言えば御祭神は学問の神様・菅原道真公と決まっているから、ここはちょっと寄っておこう。
◆圧巻、230段の石段登り
伏見桃山陵は宮内庁が管理している。
豊臣秀吉が築いた伏見城本丸跡地である。
陵は小高い丘の上にある。
上円下方墳という形式だ。下段が方形(四角形)、上段が円形。
が、そこに至るには230段の石段を登らなければならない。
階段下に、「トレーニングは集団でやらないように」という注意書きがあった。
普段でもそうなのか、コロナの影響なのかは分からないが、そういう場所として使われているようだ。
この日は平日、しかも午前中とあって、部活のトレーニングはしていなかった。
部活で思い出したが、すぐ近く、というか、ほぼ陵の敷地内と言ってもいいような所に京都橘高校がある。
ここの女子バレーは春高バレーの常連で昨年まで21年連続出場していた(今年は惜しくも連続出場が途絶えた)。
吹奏楽部も有名だ。YouTube動画がたくさんアップされている。
せっかくだから、校門の写真だけは撮っておいた。
さて石段。
見上げるときつそうだが、実際登ってみると大したことはない。
1回目、普通に昇り降り。
2回目、ビデオを回して昇り降り。
夏場だとちょっと厳しそうだが、今の季節ならゆっくり登れば汗もかかない。
ただし、年寄りとはいえ普段から足腰を鍛えている人間の言うことなので、運動不足の人は覚悟したほうがいい。
ここは観光名所というわけではないので拝観料・入場料の類はない。
近くにお土産屋などもない。
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