これからコロナはどうなるのだろう。世の中はどうなるのだろう。誰か答えを知っている人がいればいいが、誰も確かなことは言えない。
 さあ皆さん、今こそ「正解のない問い」について考える絶好の機会だ。

 学校の先生も、塾の先生も、これからは「正解のない問い」について考え、答えを見つけ出せる能力が必要だ、21世紀の社会で求められているのはそういう能力だ、と、常日頃から言ってきたよね。
 だったら、答えを知ってそうな人を探すんじゃなく、自ら問いを立て、自分の頭で考えようではないか。

 これからどうなるか分からない時は、とりあえず3つの想定シナリオを考えてみる。
 1 考えられる最悪のシナリオ(悲観論)
 2 考えられる最善のシナリオ(楽観論)
 3 1と2の中間シナリオ

 悲観論と楽観論をぶつけ合うのは時間の無駄だ。
 どちらも起こり得ることだ。
 結論は出ない。

 予想を言い合う時間があるなら、その時間を最悪シナリオと最善シナリオを考える時間に当てよう。
 事態を想定できれば、対応策は浮かんでくるものだ。

 最悪シナリオを想定する場合、想像力を全開にしよう。
 ウィングは目いっぱい広げる。
 「そこまではないんじゃないの」と思われる極論も排除しない。
 起こって欲しくないという願望を込めてはいけない。
 最悪のシナリオを想定するとは、起こって欲しくない事態について考えることだ。

 緊急事態宣言に関して言えば、
 結局、全国規模になる。
 期間がさらに延長される。
 学校での感染が拡大し、休校措置がとられる。
 というような可能性がまだ残されている。

 そうなれば、私立入試は何とか乗り切れても、公立入試の実施が危うくなる。
 入試時期が遅れれば、入学する学校の決定が遅れ、入学時期がずれる。
 学力検査の実施が困難であれば、選抜方法を急きょ変更することになる。
 いっそ新学期を9月に延期すればの議論が再燃する。
 
 と、まあ、「そこまではないんじゃないの」という話だが、最悪のシナリオを想定するというのはそういうことだ。

 最善のシナリオは、緊急事態宣言が予定通り解除され、翌日から元の日常が戻ってくることだが、最悪になる確率と最善になる確率は同じように低い。
 だから結局は、中間シナリオに落ち着くだろうが、中間シナリオの中にも最悪寄りと最善寄りと、そのまた中間があるから、それぞれを想定してみる。

 こうなって欲しい、あるいは、こうはなって欲しくないという願望は誰にもあるが、そういった感情を抜きに考える。

 自分自身の仕事について3本のシナリオを描いてみたが、最悪を考えるのは辛い作業だ。