FIREという言葉が流行っているらしい。あくまでも「らしい」である。
 マスコミはしばしば「流行っている」と書いたり言ったりすることで、流行らせようとするから注意が必要だ。

 聞いたことのない言葉なのに「今、若者の間で大流行」とか、「巷で話題の」と来られたら、ちょっとは不安になる。
 流行、話題、注目。
 ことさらにこれらを強調している場合、たいていはまだ流行ってもいないし、話題にもなっていないし、注目もされていないと思ったほうがいい。
 年末恒例の流行語大賞だって、半分は「流行させたい語」大賞みたいなところがあるじゃないか。
 というわけで、あくまでも流行っているらしいFIREの話である。

◆金貯めて、早く仕事から解放されよう
 FIREは、Financial Independence, Retire Early
 直訳すれば、前半が経済的自立、後半が早期退職。
 しっかりお金を貯めこんで、早く仕事から足を洗って、趣味や遊びで楽しい人生送ろうぜ。
 と、こんな生活スタイルのススメである。

 早期退職という言葉は昔からあった。
 このように言えば格好はつくが、実態はリストラという場合も多い。
 退職金弾むから早めにやめてくれという戦力外通告。

 しかし、今回流行っているらしい早期退職(Retire Early)は、会社都合ではなく自己都合。
 自分の意志でやめる。
 それも定年間際とかでなく、30代、40代の若さで、自分の意志でやめる。
 そのために若いうちから貯蓄する(資産形成する)。
 そして、その後の生活費は、資産の運用益を充てる。

 だがこの話、銀行や証券、生保といった金融機関のセールスのにおいも漂ってくるね。
 つまり、彼らからすると、流行ればいいいね、流行って欲しい。
 FIREだけに燃えに燃えて欲しい。
 そう言えば、最近訪れる銀行員や証券マンなんかも、さかんに資産形成や投資を勧めてくる。
 70歳の俺が今さら資産形成してどうすんだ、バーカ。

 ◆5000万も6000万も貯められるかよ
 働かず、利子や配当で生活するためには、どれだけの資産が必要か。
 FIREを煽っている人々によると、元本を減らさず運用益だけで生活費を賄うためには、5000万円とか6000万円が必要らしい。
 この瞬間、私には縁のない話と分かる。

 仮に生活費を年240万円(月20万円)とすると、その25倍、つまり6000万円の貯蓄があれば早期退職が可能になる。
 前提として運用益が4%あることが想定されている。
 6000万円を年4%で運用すれば、240万円の運用益(不労所得)が得られ、それだけで生活していける。むろん、元本は減らない。

 月20万円が高いのか低いのかは、それぞれの感覚だと思うが、そんなに贅沢はできないんじゃないか。
 どっちかと言うとつつましい生活。
 それにこの話、住宅ローンとか子供の教育費などは脇に置いている。
 子育てしながら、40代で数千万円の貯蓄を残すなんて、私には想像できない。
 まあ、自分なら出来そうだという方は、どうぞチャレンジしてみてください。

◆仕事と遊び、ずっと一緒にやったらどうだ
 人の人生観、価値観はさまざまなので、自分は自分、他人は他人。
 その上で。
 私は、前半仕事、後半遊びという考え方はとらない。
 人生のそれぞれの時期で、仕事がメインとなったり、遊びがメインとなったりするとしても、トータルで言うと、仕事しつつ遊び、遊びつつ仕事する。

 趣味や遊びは楽しいが、それが毎日(365日)であり、その日常が10年、20年と続く人生は、私の想像力を超える。

 この手の話、前にも書いたかなと思ったら、やっぱりあった。
 旧ブログ時代の2017年。
 ここに再掲しておく。
 
 2017年2月5日付記事
 「遊び」もまた人生の目的であり生きる意味である
 若いころ、オランダの歴史学者ホイジンガやフランスの社会学者カイヨワの著作などを分からないながらも読んだ。なにしろ私は根が暗い読書少年だったし、難しい本を読めば頭が良くなると勘違いしていたのだ。
 ホイジンガの「ホモ・ルーデンス」やカイヨワの「遊びと人間」などは今でも文庫で読めるはずだ。
 昔のエライ人が、「遊び」ということを真剣に考えた本であるから一読の価値はあるだろう。

 さて以下は、全然エラクナイ私が、テキトーに考えた「遊び」についての意見である。
 「仕事」と「遊び」は、どっちが上か。どっちが大事か。どっちが中心か。

 子供のころは仕事がないので遊んでばかりいる。大人になってから、特に子供ができてから成長するまでは生活の糧を得るために、遊んでいる暇はなく働いてばかりいる。
 というように、人生の時期によって、どちらかに中心を置かなければならないが、基本的に、「仕事」と「遊び」は、その価値において同等である。われわれは、「仕事」と「遊び」を両方やるために生まれてきた。

 私の知り合いが、こんなことを言う。
 「最近は、自分で自分にご褒美をあげないと働く気がしない」。
 何なんだろうね。
 遊ぶことへの言い訳?
 それとも、なにげにオレはこんなに働いてるんだぜアピール?

 どっちでもいいが、働かないと遊んじゃいけないと考えているみたいだ。「仕事」の報酬として「遊び」が与えられる。「仕事」が上位にあって「遊び」は下位にある。仕事人は尊敬されるが遊び人は軽蔑される。

 まあ、人それぞれの考え方であるから、別に否定はしない。どうぞご自由に。

 ただ私としては、「仕事」と「遊び」に同等の価値を与えたい。一途に「仕事」に打ち込むことと、ひたすら「遊び」に没頭することの価値は同じ。両方やってこそ人生。

 働かないと食って行けないとか、時間が、暇が、ないというのはそうだろう。私も同じだ。
 しかし、だから遊べないとか遊んじゃいけないということになると、人生を半分しか生きられないことになる。
 そいつはまずいだろう。なぜって、この二つのためにこの世に生まれてきたんだから。