青春には続きがあるって話はこのブログでも何回かしたと思う。
 朱夏
 白秋
 玄冬
 青い春の次は、燃え上がるような朱い(赤い)夏、次は澄み切った白い秋、最後が死を目前に控えた玄い(黒い)冬。
 何歳から何歳までとはっきり区切れるものではないが、人生後半を生きる私(70歳)などは青春や朱夏であるはずがなく、白秋か、もしかしたら玄冬だろう。

 そんな白秋や玄冬を生きる老人たちが集まれば、当然話は昔にさかのぼる。
 平成を通り越して昭和の話。
 まあ、「昔は良かった、それに比べ今は」となるわけだが、昔って、そんなに素晴らしかったか?

 私の記憶にある昭和は、ひどく不便だったし、汚かった。
 とてもじゃないが、昔は良かったなどと言えるような時代ではなかった。
 自分自身を振り返っても、未熟で非常識で無教養で、何と醜い時代であったことか。

 過ぎ去った青春や朱夏を語ることは、己の恥を語ることだ。

 ところが、である。
 これを自慢話として語る人が多い。
 少なくとも私の周辺はそういう人ばかりだ。
 (年寄りの友達は年寄りばかりだからやむを得ない)

 しかし、この自慢話というやつは、本人満足かもしれないが、聞かされる方はたまらんね。
 年寄りの私だってつまらんのだから、若い人は推して知るべし。
 しかも、言うに事欠いて、自分の経験を若い人に伝えたい、だと。
 オマエ、宇宙でも行ってきたか

 普通の人間の、普通の体験談なんて誰も聞きたくない。
 どうしても語りたいというなら成功談じゃなく失敗談にしてくれ。
 なぜなら、笑える「ネタ」として聞けるから

 お父さん、お母さん方。
 子供がどうしても聞かせろとせがんだのなら別だが、「お母さんが中学生の時は・・・」、「お父さんが高校生のときは・・・」はやめよう。
 一番聞きたくない話だ。

 子供のことを思うなら、子供の未来について語ろう。
 これまでの話ではなく、これからの話をしよう
 これまでとこれから。
 たった2文字の違いだが、両者には天と地ほどの開きがある。
 子供がこれまでを振り返ったところで、たかが5年10年だろう。
 でも、これからはあと70年80年ある。
 だから、語るならこっち。

 これまで遊んでばかりで勉強してこなかった。
 だからどうなのよ。
 じゃあ、これからどうするのよ、って話でしょう。

 反省にパワー使うのもったいない。
 そのパワー、未来計画と明日からの行動に使おうよ。