皆さんは「自称進学校」という言葉を聞いたことがあるか。
 あるだろうね。
 私も聞いたことはある。
 だが、こうして文字にするのは初めてだ。

 ネットの世界ではかなり以前から使われているようだ。。
 学問的用語ではないので明確な定義などあるはずがない。
 発信者(発言者)それぞれが自分流に解釈し、勝手に盛り上がっている。
 という程度の話なので、学校の先生はそんなものを気にする必要はなく、放っておけばいい。

 最近、こんな記事を見かけた。
 地方に残る「自称進学校」はムダ学習の温床だ 志望校に必要ない学習を強制する洗脳的教育(東洋経済オンライン)
 この記事自体はステマだね。
 ステルスマーケティング、略してステマ。
 記事のふりして本の宣伝をする。
 何かズルいなと思う人もいるかもしれないが、私は広告とはかなり近い世界にいるので、このやり方は否定しない。
 むしろ、一つの手法として「あり」だと思っている。
 読む側が、そう思って読めばいいだけの話だ。

 著者は埼玉県出身で、開成高校から東大法学部という文句なしの学歴を誇る方で、今は個別指導塾を主宰し、YouTube動画でも盛んに情報発信をされている。
 身分を明らかにして顔出し名前出しで活動しているわけだから、その点では何の問題もない。
 学校を大学進学実績という一点で評価するのはどうかと思うが、先生(教育者)ではないのだから、別にそれは構わない。
 
 以前からこのブログをお読みになっている方はお分かりと思うが、私は「学校っぽい塾」というものには否定的である。
 学校ごっこしてんじゃねえぞ、とさえ思う。
 やったこともないくせに「そもそも学校教育とは・・・」などと偉そうに語る人より、はるかに信用できるというものだ。

 「自称進学校」の話に戻る。

 前述のとおり、「自称進学校」に明確な定義はない。
 いや、それ以前に「進学校」にだって誰もが認めるような定義はない。
 ということは、誰もが自由に使っていいということだ。

 なので、私立中高や公立高校の先生方、世間から揶揄されようと、どんどん自称してもらいたい。
 「進学校」への道のりの中で、「自称進学校」の過程はどうしても避けられない。
 今は自他ともに認める「進学校」だって、最初は皆、「自称進学校」だったのだ。
 「自称進学校」は、「進学校」へ至る道のりの中で、避けて通れないプロセスなのだ。

 「自称進学校」の段階では、どうしても先生主導型になる。
 生徒の自主性など待っていたら、いつになるか分からない。
 授業や補講はこれでもかとやる。宿題も課題も山ほど出す。
 それが究極の理想型だと思っている先生は誰ひとりいない。
 当たり前じゃないか。
 だが、ここを通り抜けないと目的地にたどり着けないから、そうしているだけだ。
 早く手綱を緩めたい。
 そう思いつつ、鞭を入れ叱咤激励する。
 それが現実の姿であろう。

 以上、「自称進学校」の先生方にエールを送っておく。

 追伸。
 私は受験情報誌などに記事を書く時、「教育ジャーナリスト」の肩書を用いている。
 これなんかも自称の最たるものものだ。
 死ぬまでに本物になりたいね。