よくよく考えてみれば今日は祝日であったが、取材のアポを入れてしまった。
部活や学校行事の取材の場合、土日祝日というのはよくあることだ。
で、取材レポートも書くつもりだが、その前にネットでこんな記事が見つかったので、先にそちらを取り上げることにしよう。
こちらの記事である。↓
日本電産・永守会長が「日本の偏差値教育は根本的に間違い」と断言する理由(ダイヤモンドオンライン)
日本電産は今さら説明するまでもなく世界のトップを行くモーターメーカーである。
1973年、この記事にも登場する永守重信氏(現会長)が京都で創業した。
2018年からは京都先端科学大学の理事長を務められるなど教育にも多大な関心を寄せられている。
ついでだが、一代前の埼玉県教育長、小松弥生氏は、2022年4月より日本電産株式会社の社外取締役を務められている。まあ、どうでもいい小ネタである。
当該記事の話に戻ろう。
記事タイトルにある「偏差値教育」である。
はて、偏差値教育とは何だろう?
どんな教育を指すのだろう?
学校に近いところで仕事をしている私だが、今一つピント来ない言葉である。
偏差値を用いた指導は確かに行われている。
中学受験でも、高校受験でも、大学受験でも。
合格可能性を高めるために、偏差値を用いた受験指導は行われている。
学校でも、塾や予備校でも行われている。
ただ、大きなカテゴリーとして「進路指導」や「キャリア教育」があり、中くらいのカテゴリーとして「進学指導」があり、最終的な小さなカテゴリーとして「受験指導」があるというのが私個人の認識だ。
さらに言えば、「受験指導」のさらに下位カテゴリーに「志望校指導」、「併願校指導」がある。
偏差値という指標が有効なのは、言うまでもないが、志望校を決めたり、併願校を決めたりする場面である。
偏差値を上げることは、選択肢や可能性を広げることにもなるから、偏差値を上げるための指導が行われているのは事実だ。
だが、真っ先に偏差値上昇を掲げたところで、子供たちが「はい、そうですか」と直ちに勉強に励むことはなく、そこに至るまでの長い道のりがあるわけだ。
学校の先生も、塾の先生も、要はそこのところで苦労しておられる。
子供たちが夢を抱き、学びたい分野やなりたい職業・仕事を考え、決定して行くプロセスにおいて偏差値など何の役にも立たない。
と言うか、話題にさえならないだろう。
たしかに、記事にもあるように、「『何をやりたいか』ではなく、『どこに入れるか』で進路を選んでしまっています」という事実があるのは否定できない。
適性の問題もあるし、学力の問題もあるし、費用の問題もある。
不本意ではあるが、そのような指導をしなければならない場合もある。
が、記事では、最初から、かつ積極的に偏差値を前面に押し出した指導が日本中で行われているような書きぶりであり、そこがどうもしっくり来ない、というか納得できないところなのである。
永守氏が言われるところの「偏差値教育」というもの、つまり、興味も関心も適性も能力も一切考慮しない、偏差値から始まる指導が、この日本のどこで行われているのか。
私は無いと考えている。
塾でさえも、「将来何をやりたいの」から始めているというのに、偏差値ですべてを決めるような指導が行われているはずがないではないか。
(塾でさえもというのは誤解を招きやすい表現だが、偏差値を一番重視していそうなという意味で言っている)
大企業の方から見れば、あるいは一代で世界一のメーカーを築き上げた立志伝中の人物から見れば、そのように見えるのかなという程度にとらえておくことにしよう。
永守氏は、「中学校、高等学校の段階で早期に職業観、人生観と向き合える環境を整えよう」とも述べられている。
実は、このことは全国の先生方も熱望していることである。
しかしこれは、現在の学校教育の仕組みの中では、完全実施はなかなか難しいのだ。
なにせ先生は「世間知らず」であり、職業のことも人生のことも説得力を持って語ることができないのだ。
そこで、力になってくれそうなのが、豊富な経験と経験を持った職業人、企業人あるいは研究者の皆さんだ。
その意味では永守氏ほどの大人物が、教育に多大な関心を寄せ、環境整備に目を向けてくれるのは心強いことだ。
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