30代の若者に「知っている=教えられる」ではないのだと教えてやった話をする。

 彼(仮にY君としておこう)は、理工系の大学を出ている。
 大手IT企業に就職したが、今は友人らと会社を経営している。
 爆発的に儲かってはいないが、自分らの食い扶持ぐらいは何とか確保できているようだ。
 (まっ、私といい勝負だな)

 表計算ソフトExcelの話になった。
 「毎日使っているが、機能の10分の1も使ってないだろうな」
 Y君「マクロとか関数とかは使ってますか」
 「仕事上欠かせない、いくつかは使っている程度だ」
 Y君「もったないですね」
 「だよね。その点Y君はIT関連の仕事だし、バリバリで行けちゃうんだろうね」
 Y君「大体のことは知っているので、教えられると思います」

 はい、ストップ。
 今、何て言った?

 知っているから教えられる。
 そう言ったよね。

 人のものを教えたことのないやつは、これだから困る。
 教えるという行為が、相当高度なスキルだということが分かっていない。
 知っていることを喋ったって、教えたことにはならないんだよ。

 先に結論を言っておくが、教えることの最終目標は自立だ。
 いつかどこかの時点で、自分で考え、自分で調べ、自分で試す。
 そうできるようにすることが教えるということだ。

 さらに言えば、教えた人間を超えさせることが目標なのだ。
 Y君は理系人間だから興味ないと思うが、「出藍の誉れ」って言葉があるんだ。
 弟子が師匠を超えることなんだが、そういう言葉があることだけ覚えておいてくれ。

 で、ただ自分が知っていることを喋ったり説明するだけで、自立したり師匠を超えたりすると思う?
 そうはならんよね。
 だから、そのためには高度なスキルが必要なんだ。

 教えることがスキルである証拠に、それで食えてる人間が大勢いるだろう。学校の先生とか、塾の先生とか。
 それで食っていける、それで生きていける。そういうものをスキルと呼ぶんだ。
 知っているというのは、ただそれだけでは何の役にも立たないんだ。
 そこに教えるというスキルを加えてはじめて食えるようになる。
 教えるを甘く見るなよ。

 知っていることは何も教えるためだけに使わなくてもいい。
 それを元に、新しい発明をしてもいいし、何かを改良してもいい。
 ただこれも、知っているというだけで自動的にできるものではない。
 発明にも改良にもスキルが必要だ。

 今日から先、知っているなどと偉そうに言ってはいけない。
 知っているなんてものは、屁の突っ張りにもならん。
 ナニ、屁の突っ張りの意味が分からん?
 キン肉マン見てねえのか。
 昔からある言葉で、何の役にも立たないことをそう言うんだよ。

 知っているのは知らないよりは、はるかにいい。
 ただ、自分の知っていることを誰かに伝えようとか、教えようというのは間違った態度だ。
 自分が中心になっているからだ。

 そうじゃなくて、お客様は何を望んでいるか、何を欲しているか、何を困っているか、何を悩んでいるか、何が好みかをまず考える。
 その上で、じゃあこうしたらどうですか、こういうやり方がありますよ、と教えてあげる。
 つまりは、こっちから向こうに向かってではなく、向こうからこっちに向かって考えるってことだな。

 どうだ、知ってるから教えられるなんて、そんな生易しい話じゃないことが分かったか。