長かったマスク生活も今日で終了。
明日(3月13日)からマスク着用は個人の判断に委ねられる。
まあ今までも個人の判断だったわけで、別に法や規則があったわけではない。
ただ、要請とか推奨とかお願いとか、そういった形で何となく社会的ルールが出来上がっていたに過ぎない。
これからは「マスクの着用をお願いします」と求められるケースが徐々に減るだろう。
引き続きマスクを着用するという人も相当数いるようだが、それは正に個人の判断なのであるから、どうぞご自由に。
だが、私は着用しない。
もちろん、相手に着用を求められた場合には、自分の判断よりも相手の判断を優先することで構わない。
仕事柄学校に行くことが多いが、学校が部外者に対し、引き続き検温やらマスク着用を求めるなら、それに従うまでだ。
これから暫く、マスコミはマスク着脱をめぐるトラブルを追うことになるだろう。
事件や事故で食っているのだから当然そうなる。
学校は未成年を相手にしているので、個人の判断の一言で片付けるわけにも行かず、何らかの方針、指針を示す必要があるだろう。
しかし、これだけマスクが定着すると、元に戻るには数年かかるかもしれない。
コロナ以前、マスク着用の人を見ると、「風邪気味なんだろう」「花粉症なのかな」と思ったものだが、そこに戻るには長い時間を必要とするだろう。
子供たちは割と早く順応するだろうが年寄りは難しい。
行動様式を急には変えられないのだ。
それに、ふだん偉そうなことを言っているくせに個人の判断というのが一番苦手なのだ。
と言うか、加齢により判断力が低下している。
なので、個人の判断ができない年寄りを大目に見てやってほしい。
持病があったりして重症化リスクが高いこともあるので、引き続きマスク着用の方が無難かもしれない。
一度あの爺や婆の素顔を見てみたいというニーズはほぼ無く、むしろ見たくないであろう。その点でも年寄りのマスク離れはずっと先で問題ない。
とりとめのない話に終始したが、脱コロナ、ポストコロナの起点となるかもしれないトピックなので、自身の備忘録として書いておいた。
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