私は人の名前や顔を覚えるのが得意ではない。
近年は、元々得意ではないところに加齢による物忘れが加わったものだから手に負えない。
1回会っただけで覚えるなんてほぼ不可能。
2回でも怪しい。
3回くらいになると、この人、前に会ったことあったかなくらいの認識に至る。
記憶力が悪いのかというと必ずしもそんなことはない。
教科書や参考書に書いてあることなら、まあまあ覚えられる。
人の顔と名前がダメなのだ。
たぶんこれは、人に興味がないからだろう。
人を覚えられないのだから友達が増えるはずがない。
でも、それでいいやというところが、何とも「食えねえヤツ」なのである。
そんな私でも、生徒の顔と名前を覚えるのは必死にやった(つもりだ)。
1年生担任は教員生活の中でたった一度だったが、その時は入学式までにクラス全員の名前と顔を覚えることを自らに課した。
春休みは毎日、写真とにらめっこ。
そして苦労のかいあって、自らに課したこのミッションは達成できた。
30代前半という若さが幸いしたのだろう。
最初は座席が名簿順なのも有難かった。
その後は、事ある度に名前を呼び、記憶の定着を心がけた。
特に新入生を受け持たれる先生方。私などが口を挟む話ではないことは承知しているが、生徒の名前と顔は一日も早く覚えよう。
で、再び名前と顔を覚えられない現在の話に戻るが、これはもうどうしようもない。
どんどん加速している。
そこで最近は、「たぶん一回では覚えられないと思うが、それは年のせいなので勘弁してほしい。今度どこかで会ったときは、申し訳ないが以前にも会ったとそちらから言ってほしい」と、図々しいお願いをしている。
年齢のせいにするわけである。
が、実のところ、真の原因はそこではなく、人に対する興味のなさである。
これはもう死ぬまで治らんだろう。
が、私のように人を覚えない人間は、人にも覚えられないのである。
世の中というのは実にうまく出来ているものだ。
だから、お互い二度目、三度目なのに「初めまして」などとやっている。
たまたま居合わせた人に、「たぶん、お二人初めてじゃないですよ」と言われて、「ああ、そうかもしれませんね」となるが、それほど気まずい雰囲気にもならない。
人に興味がない私は一人で行動することを好む。別に人と会いたくないわけではない。それよりも一人でいる方が性に合っているのだ。外食とか飲み会とか旅行とか、一般的には複数の人で楽しむようなことも一人で楽しめてしまう。
もちろん人から誘われれば結構積極的にお付き合いする。が、自分から積極的に人を何かに誘うようなことはしない。
人に興味がない性分は、日常生活おいてほとんどメリットがない。
相手を思いやるなんて感情は皆無だから、かなりの高確率で人を傷つけているだろう。
人の話もあまり真剣に聞かない。
それでよくここまで生きて来たものだ。
ただ、たった一つだけメリットがある。
それは人間関係から来るストレスから完全に解放されているということだ。
人間関係を良好にしようなんてことは、これっぽちも考えない。悪くなったら悪くなったで別に構わない。人間関係が変化しても全くというほどストレスを感じないのだ。
春は新しい人間関係の始まりだ。
この人とこれからどういう関係性を築いていったらいいのだろうかとか、自分は周りからどう見られているのだろうとか、思い悩むことも多いだろう。
私のように人に興味がない人間になることはお勧めしないが、良い関係を作ろうとするあまり、自分自身を見失いようにしてほしいと思う。
コメントを残す