熊谷高校の「学習塾対象説明会」に行ってきた。
普段なら駅からタクシーまたはバスを利用するところだが、本日は徒歩を選択。
夏はヒートアイランド現象と秩父山地からのフェーン現象が合わさり猛暑となる熊谷。
冬は冬で強い北風(赤城おろし)に見舞われる熊谷。
であるが、今の季節なら快適なウォーキングとなるだろう。
それにしても、川越高校と言い、熊谷高校と言い、なんでこんなに駅から離れているのだ。
川越高校の場合は川越城の跡地、つまり近世における町の中心地ということは分かっている。住所の「川越市郭町」からもその歴史がうかがえる。
熊谷高校はどうだろう。
こちらは旧中山道の宿場町。
八木橋百貨店や埼玉縣信用金庫本店、熊谷直実ゆかりの熊谷寺(ゆうこくじ)などが駅からかなり離れたところにあるのをみると、昔はこの一帯が町の中心だったのか。
だとしたら、熊谷高校も町の中心からそれほど離れているわけではない。
と、そんなことを考えつつ約30分で学校到着。
途中、街の風景を写真撮影しながらであるから、さっさと歩けば学校公式発表の徒歩25分はほぼ正確だろう。
電車利用の生徒たちはおそらく駅近に駐輪場を確保していると思われる。
◆現役進学率が上昇
ざっと40人近い塾長が出席されていた。
同校卒業生でもある加藤哲也校長より、約30分の学校概要説明があった。
冒頭、「時間が短いので倍速で」と宣言されたが、非常に歯切れも良く、むしろこのくらいのテンポの方が快適だと感じた。
主な内容は、
1大学進学実績について
2授業及びカリキュラムについて
3部活動及び学校行事について
などであった。
大学進学については国公立現役78人であった(令和6年度)。
ざっと卒業生の4人に1人が国公立現役。
かつてのように浪人が当たり前という風潮はないようだ。
進学型単位制をとっており、2・3年次においては選択の単位数及び科目数が多い。
これにより、科目数の多い国公立や、科目数が絞られる私立のどちらにも対応できるようになっている。
学校行事には、40㎞ハイクや臨海学校などがある。
浦高と同様、「プール(屋内)があるから」「臨海学校があるから」という理由で避けられることもあるようだ。
修学旅行は4泊5日と結構長め。全体行動は1日目だけで、あとは班ごとの自主行動。最後の集合地に戻れればどこに行こうと自由。
◆私服OK、もちろん校則なし
説明のあとは2グループに分かれて授業見学。
私服OKの学校なので、思い思いの服装で受けている。
体育でもないのに短パンの子もいる。
最近、校則問題が世間を騒がせているが、この学校とは無縁だ。
最近の子は体格がいい。
それに、持ち物が多いらしくバックもでかい。
教室後ろに個人ロッカーがあるが、そこは教科書などでいっぱいなのだろう。
そこで、ご覧のようにバッグは通路置きとなる。
教室も机もイスも、昔ながらのサイズというのは何とかならんか。
と、いつも授業見学の度に思っている。
◆攻めの生徒募集へ
生徒募集では苦戦が続いている。
最終的に定員を割ることはないが、昨年も第1回調査時点では0.86倍だった。
多くの上位進学校が360人定員であるのに対し320人定員でこの数字だ。
令和3年度 0.87倍
令和4年度 1.04倍
令和5年度 0.99倍
令和6年度 0.86倍
と、こんな状況が続いている。
最後に帳尻が合うのはさすが伝統校とも言えるが、一般的にこうした入試では学力下位層も受け入れることになり、上から下までかなり学力差のある構成となる。
それにより授業進度や難易度にも少なからず影響を与えることになる。
したがって、高い倍率からスタートして、下位層から徐々に抜けて行くという構造への転換が望まれる。
もちろん、このあたりは学校側も分かっていて、今シーズンは第1回説明会を6月(15日)に実施する。
土曜授業公開もこれまで以上に強力アピールしている。
さらに年明け1月(25日)には中学1・2年生向けの見学会も予定している。
急には結果は出ないが、こうした攻めの姿勢は必ず実を結ぶはずだ。
◆熊谷西とどこが違うの
質疑応答タイムがあり、その際、「熊谷と熊谷西はどこが違うのか」という質問があった。
より正確には、「熊谷高校としては、その点をどう説明するのか」という質問だ。
質問した塾長は仕事柄当然答えを持っているはずであるから、熊高らしさをもっと強力アピールせよという激励の意味もあったのかもしれない。
これに対し加藤校長は、熊谷西批判とならないよう慎重に言葉を選びながら、伝統校ならではの縦の絆を強調された。
今日配布された新版学校案内パンフレットには「社会で活躍する卒業生」として前埼玉県教育長の高田直芳氏の名前とメッセージが紹介されている。
埼玉県中どこへ行っても熊高卒の教員は大勢いる。
教育界だけでない。
政・財・官、あらゆる世界で卒業生が活躍し続けている。
(カズレーザーみたいな人もいる)
仲間は同期生だけではない。
上にも下にも、いわば縦の仲間が生まれるのである。
身近なところにロールモデルが大勢いるとも言える。
学閥というほどのものではないが、これが1世紀以上続く学校の強みと言えるだろう。
熊高に限った話ではないが、入る前より「入ってから、さらに良いと感じられる学校」、そして「出てからもずっと、良い学校だったと思える学校」を目指していただきたいと願っている。
2024-06-07 at 11:39
私は60歳でかなり昔の話になりますが、私が高校生の頃は浦高、一女の下に川越高、春高、そして熊高がありいわば御三家の
ような存在でした。私はその下の不動岡高で憧れたものです。しかし今は不動岡高より偏差値は下とのこと。私は明治大学法学部卒ですが、いまの熊高はマーチでさえ厳しいようです。入学希望者が少ないのではなく定員が多すぎるのではないのでしょうか?県南ならともかく県北は人口も少ないし、県民の目は南を向いているので仕方ない事です。熊高も不動岡高も県北の高校、頑張っていきましょう。
2024-06-07 at 13:31
定員が多すぎるのではないかとのご指摘。かなり当たっていると思います。定員問題は学校単独で決められるものではありませんが、熊高周辺でも一部そのような声があがっていると聞きます。
しかし、過去の事例に照らすと、定員を減らせば一時的に状況は好転するものの、すぐにまた、その定員にも苦しむようになることが多いようですので、熊谷高校さん、熊谷女子高さんには、ここで何とか踏みとどまっていただいたいと思っています。