入学式を控え、式辞でどんなことを言おうかと悩んでいる校長もいることだろう。
 ベテランになれば入学式、卒業式、始業式、終業式はもとより、さまざまな場面でご挨拶を経験しているからどうということはないが、今回教頭から校長に昇任した新校長は初めての式辞がこの入学式となるから、それなりに緊張はあるだろう。

 下手な話はできんぞ。
 世の中にはその内容をいちいちチェックしようという輩がいるからな。

 ところで、静岡県知事の新卒採用者への訓示が話題になっている。
 川勝平太知事はマスコミが喜ぶネタを次々に提供してくれる人だ。

静岡・川勝知事、県庁職員は「知性の高い方たち」…採用職員に訓示「野菜売ったり牛の世話したりモノを作ったりとかと違う」(讀賣新聞オンライン)

 15年にも及ぶ長期政権となると誰も意見する人がいなくなるのだろう。

 いつも「切り取り」と反論されるので全文を載せたマスコミもある。
 【全文】物議醸す川勝知事の新入職員への訓示 特定の職業引き合いに「みなさんは頭脳・知性の高い方」(テレビ静岡)

 実家が農業や畜産業という新入職員だっているだろうに、そういう若者はこの言葉どう聞いたのだろう。

 政治家は話題になってナンボみたいなところもあるが、教育者としては聞き手にはいろいろな背景を持つ人がいることを強く心に留めておかなければならんな。
 言葉選びは慎重に。

 静岡ほど話題にならなかったが奈良県知事もすごいこと言っている。
自らを「飲みニケーション奨励派」と称した知事、新採用職員に「飲みに誘われたらなるべく断らず…」と呼びかけ(讀賣新聞オンライン)

 こちら山下真知事(55)は昨年(2023年)知事に就任したばかりだから初めての訓示だろう。
 東大(文)を出て京大(法)に入り直して弁護士という経歴だから勉強はものすごくできるのだろう。

 職場におけるコミュニケーションの重要性はそのとおりだと思うが、なんで飲み屋に出かけていかなきゃならんのだ。
 昭和じゃなく令和だぜ。

 「飲みに誘われたらなるべく断らず、先輩や上司と交流を深めてほしい」。
 さすがに「絶対に」ではなく「なるべく」と言っているが、奈良県庁は新入職員にとって飲み会を断りにくい雰囲気になるんだろうな。
 酒が苦手、人とワイワイ盛り上がるのが嫌いという人間だっているのだ。

 ここからは自らへの戒めでもある。
 人に話をするときに、「私」を主語にするな。

 もちろん「私はこう思う」と自らの見解を述べるのはいい。
 しかし、あえて断るまでもなく、聞いている「あなた」には別の解釈や見解があるかもしれないのだ。
 いや、絶対にある。
 その上での、「私は」でなければならない。

 多くの職場はチームで仕事をするのであるからコミュニケーションは大事だ。
 ここまでは大方の賛同を得られるだろう。

 そのための一つの手段として「私は」飲み会を重視しているが、むろん方法は一つではない。
 それぞれに合ったやり方で上司や同僚とのコミュニケーション、また県民とのコミュニケーションを図って欲しい。
 そう言えばよかった。
 他にいい話をしているはずなのに、「私は」が前面に出過ぎたために批判の対象となってしまう。

 「私」の話をしたい、「私」の経験を話したい。
 そういう人は多い。
 しかし、聞き手は「私」(聞き手側から見れば「あなた」となる)の話など聞きたくない。
 「私(は)」という言葉を使ったとき、いま自分は聞き手にとって一番つまらない、聞きたくない話をしているのだという自覚が必要だ。

 なお、これは「公」の地位や立場がある人の場合の「私」である。
 地位も名誉も何もない徹頭徹尾私人である「私」の場合は、そこまで神経を使わなくてもいいだろう。
 とは言え、やはり「私」が出過ぎると嫌われるかな。
 注意しよう。