本日、入院中の知り合いを見舞うため関西方面に向かう。
 連休明けには仕上げたい原稿を抱えているため日帰りとなるが、戻りは日付が変わる直前となる見込みだ。
 よって、本日は事実上の休載。

 新幹線の中で書くという手もあるが、どうも苦手だ。
 スタバで書くのもダメ。
 揺れもなく騒音もない環境でパソコンに向かわないと書けない。
 いつでもどんな環境でも書ける人、仕事ができる人が羨ましい。

 新幹線の中でも読書はできる。
 行き帰りの読書用に購入しておいたのは、「なぜ働いていると本が読めなくなるか(三宅香帆著)」という新書だ。
 
 私の場合、勤め人ではないので、好きな時に読める。
 別に働いているから読めないわけではない。

 教員の時も、サラリーマンの時も、読みまくった。
 なのに読めなくなった。
 一つには体力の低下というのがある。
 読書にも体力は必要なのだ。

 もう一つは読む前に結論が分かってしまうこと。
 生きた年数分だけ無駄に知識がたまっているので、読む前に読めてしまう。
 だが、原因はそこではないな。
 だって、それほど何でも知っているわけではないから。

 やはり一番は「知」への欲望がなくなったことだろう。
 知的好奇心と言ってもいいかもしれない。
 残念ながらこれは恐ろしく低下している。
 人生そう長くないのに今さら新しい知識を仕込んで何になる。

 そう。
 すべてが今さらと思えてしまうのだ。
 今さら体にいいことやって何になる。
 今さら友達作って何になる。
 今さら金儲けして何になる。

 人はこうして精神的に死に向かって行く。

 しかし、考えてみればこれは恐ろしいことである。
 肉体的に死に向かうのは自らの意志でコントロールし難いが、精神的に死に向かうことは医師の力を借りずとも意志の力である程度制御できるかもしれない。

 なわけで車内ではスマホを捨て読書に集中してみる。