私は大小取りまぜてパーティだの宴会だの人の集まる場は好きではない。
理由は、人と話すのが面倒だから。
って、これ、数日前にも書いたような。
今日は夕方から埼玉新聞社の創刊80周年記念式典&パーティがあった。
できればスルーしたいところだが、埼玉新聞社は重要な取引先であるからそうも行かない。
大急ぎで埼玉新聞用の記事を書き上げて会場に向かった。
埼玉新聞社がこの手のイベントで使うのは浦和ロイヤルパインズホテルか大宮パレスホテルのどちらかだ。
地元の企業に気を遣っているのだろう。
もっともキャパ的に耐えられるのはこの2か所しかない。
今回は浦和ロイヤルパインズホテルだ。
事務所から徒歩で行けるので助かる。
大野埼玉県知事と清水さいたま市長は来賓として出席されていたが、いつもなら大挙してやって来る地元選出国会議員の姿が見えない。
それはそうだ。
衆議院議員選挙中に議員や候補者を呼ぶわけにはいかない。
もしかしたら代理ということも考えられるが選挙でそれどころではないだろう。
企業・団体関係ではこの手の集まりで代理出席は当たり前。
今日も大勢の代理出席者がいただろう。
◆個人情報クソくらえの昭和時代
私が埼玉新聞の存在を知ったのは中学3年生の時だ。
高校入試合格発表の当日、今では信じられないことだが全校全合格者の氏名が埼玉新聞に載ったのだ。
記念に買っておくかというので母親か親戚の誰かが駅の売店に買いに行った。
学校の合格掲示も氏名付きだったので、誰が受かったか誰が落ちたかはバレバレ。
発表を見に行く途中、すでに見てきた同級生がすれ違いざまに「お前も受かってたぞ」。
この野郎、ここで言うんじゃねえ。
楽しみがなくなるじゃねえか。
一応、中学校に報告に行くわけだが、先生たちはすでに埼玉新聞で見て結果を知っていた。
以上が埼玉新聞に関するもっとも古い記憶である。
◆埼玉新聞社に企画持ち込み
高校教員時代は学校で埼玉新聞をとっていたので、時々は読んでいた。
教務主任になった時、教頭から「埼玉新聞、チェックしとけ」と命じられた。
学校関係で何か気になる記事があったら報告しろということだ。
が、その程度で、特に思い出せることはない。
自前の会社を作ってすぐ、埼玉新聞社の出版局というところに企画を持ち込んだ。
その後、21年間、年1回発行し続けた「埼玉県公私立高校進学ガイド」という書籍だ。
最初の3年間は埼玉新聞社が発行元となってくれた。
企画が割とすんなり通ったのは、新聞社側にリスクがほとんどない提案だったからだろう。
しかし、リスクなしとは言え、新聞社として利益があまり出ないのもどうかという話になり、この提携は終了した。
そこで、ちょっとした伝手があったので中央公論社に持ち込んだところ、これまた結構すんなり通ったので、以後同社からの発売となり2018年まで続いた。
◆けんもほろろに断られる
埼玉新聞社に対する次なる企画持ち込みは、今も続く「彩の国進学フェア」である。
当時、公立私立の合同フェアは全国を見渡しても存在しなかった。
私立だけのものはあった。
事の顛末はこのブログでも何度か書いているが、地元紙として最初に埼玉新聞社に企画を持ち込んだのである。
その時のことは鮮明に覚えている。
会ったのは、下っ端ではなく役員だ(後に社長にもなった方)。
「そんなもの(公私合同なんて)出来るわけないだろう」
「だいいち金はどうするんだ」
「無理無理、やめとけ」
と、取り付く島もなし。
まあ、自分としても県内イベントだし、まずは地元紙に敬意を表しておくべきだろうという気持ちもあって、ダメなら朝日や読売に持ち込むつもりだった。
ただ正直言って、埼玉新聞で通らなかった企画が朝日や読売で通るかどうかという不安はあった。
で、詳細は省くが運よく読売新聞社さいたま支局が主催してくれることになり今日に至っている。
◆10年の時を経て
読売さん主催のイベント準備を進めている最中、埼玉新聞社が大宮タカシマヤと組んでまったく同じような企画を進めているという話が入ってきた。
ふざけるな、と思った。
世間的にまったく無名な私の提案は受け付けないが、天下の高島屋の提案には乗るわけだ。
企画は完全丸パクリというところは頭にきた。
同じような時期に同じようなイベント。
先生方の負担も大きいし、これはつぶさなければならないと決意した。
2~3年で終了したと思う。
以後、まったく関係を持たない時期が続いたが、12~3年前に再び接点を持つことになった。
新規部門の立ち上げにあたっての協力依頼という形だと思うが、今さらかよと思った。
ただ自分としても、テレビ埼玉や埼玉新聞社など地元マスコミとつながりを持つのは最初から考えていたことだ。
ずいぶんと回り道した感はあるが、有難い話である。
そんなわけけで、現在、教育特集やWEBサイト「高校受験ナビ」の記事執筆はじめ、さまざまな仕事をさせてもらっているわけである。
以上、埼玉新聞創刊80周年にちなみ、同紙・同社との関りについて昔話をした。
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