私立高校の生徒募集要項を眺めていて、あることに気づいた。
 「最近、『類』というネーミングが増えてきたな」。
 まあ、今さらかよと言われそうだが、そこに引っかかってしまったのだから仕方ない。

 叡明:特進選抜コースⅠ類・Ⅱ類
 大宮開成:特進選抜Ⅰ類・Ⅱ類
 川越東:理数Ⅰ類・Ⅱ類
 栄北:特類選抜・特類S・特類A
 狭山ヶ丘:Ⅰ類~Ⅳ類
 淑徳与野:T類・SS類・SA類・R類
 星野:Ⅲ類特進選抜・S類特進選抜
 本庄第一:S類型・AⅠ類型・AⅡ類型
 
 相変わらず「特進」「特選」などが主流であるが、「類」も勢力を拡大しつつある。
 歴史を振り返れば、かつて私立高校が「特別進学クラス(略して特進)」と名乗り始めた頃のインパクトは絶大だった。公立高校が圧倒的な優位を誇っていた時代、大学進学指導の強化を対外的に高らかに宣言するそのネーミングは、力強いメッセージとして受験生や保護者に迎えられ、またたく間に私立高校界を席巻した。

 今にして思えば、「特別進学(特進)」というネーミングは、マーケティング的に極めて秀逸だった。
 「分かりやすさ」「覚えやすさ」、そして一言で大学進学強化という教育の中身を直感的に想起させる力を完璧に備えていた。ネーミングに求められる「認知・想起」の機能において、これほど完成された言葉は他に類を見なかったと言っていい。

 しかし、あらゆる競合校がこの成功体験を模倣した結果、事態は様変わりしていく。
 「選抜」「特別選抜(特選)」といった変形が生まれ、さらにはアルファベットの「A」や「S」、ギリシャ文字の「α」、そして近年では「Ⅰ類・Ⅱ類」といったマイルドな表現へと移行していった。
 そして、類似のネーミングが多くの学校にまん延したことで、ネーミングのもう一つの重要な機能である「差別化」が完全に機能不全に陥ってしまったのだ。どの学校のパンフレットを開いても同じような言葉が並び、「特進」と言われても、今やどの学校の何が優れているのか、その違いは直ちには認識しづらい。

 このジレンマをもっとも痛感しているのは、ほかならぬ現場の募集広報担当の先生方だろう。
 学校関係者からはよく「名前より中身が大切だ」という批判や反論が聞こえてくる。しかし、これはいささかピントがずれている。私は、「中身が良い(=質の高い教育や指導体制がある)という大前提」を置いた上で、その優れた価値をマーケットや生活者にどう届けるかという伝達・受容の戦略の話をしているのだ。
 どれほど優れた商品やサービスであっても、その魅力が直感的に伝わるパッケージやネーミングがなければ、そもそも比較検討の土俵にすら上がれない。教育のプロであっても、伝えるプロとは限らないという現実を、この「中身重視」という言葉はしばしば覆い隠してしまう。

 とはいえ、今まで誰も聞いたことのないような奇抜な造語に走れば、今度はネーミングの生命線である「認知・想起」の機能が失われてしまう。求められるのは、「聞けば中身がすぐに想像できるが、実はまだ誰も使っていなかった言葉」の発見である。

 そのためには、発想の軸を大きく転換する必要がある。
 これまでの「特進」や「類」に代表されるのは、成績の上下や進度の早さを示す「縦軸の発想」と言える。しかし、この縦軸の競争はすでに限界が近づいており、受験生にとっても新鮮味は薄い。
 いま求められているのは、学びの方向性やテーマを示す「横軸の発想」への転換、あるいはその融合だ。例えば、単に「上位のクラス」とランク付けするのではなく、探究学習や特定の専門領域、あるいはグローバル教育といった「高校で何を深く学ぶのか」を前面に出すアプローチである。

 この構造は、主に私立の文脈で語られることが多いが、実は公立高校のコース再編やクラス編成にもそのまま応用できる。単なる「特進」という古びた看板を模倣するのではなく、自校の強みを表す新しい言葉をどう見出すか。学校広報におけるネーミングの次なる進化を仕掛けるタイミングが今訪れている。