今日、取材で県立草加東高校を訪ねた。
(住所は草加市だが最寄り駅は「越谷レイクタウン駅」である)
取材目的は「よみうり進学メディア11月号・埼玉版」の授業特集である。例年11月号では「これが高校の授業だ」という企画を組んでいる。授業を1時間、最初から最後まで参観し、その様子をレポートする。
正直に言えば、「授業の様子を見て高校を選びました」という中学生がそんなに多いとは思えない。
部活動、制服、校舎、大学進学実績、学校行事。高校選びでは、そちらの方が分かりやすい。
が、そんな中でも、この記事を読んだ中学生が、「高校の授業って、結構面白そうじゃん」と少しでも思ってくれれば、望外の喜びである。
◆題材は「猫は後悔するか」
今日参観したのは、3年生の「論理国語」だった(授業担当は赤井律紀教諭)。
詳しい授業内容は新聞記事の方で紹介するのでここでは省くが、扱っていたのは野矢茂樹氏の評論『猫は後悔するか』である。
そこで登場するのが、哲学者ヴィトゲンシュタインの「論理空間」という概念だ。
まあ、75歳の年寄りとしては、積極的に考えたいテーマではない。
ところが高校生たちは結構これに食いついている。
「ああでもない」「こうでもない」と友達同士で意見を出し合う。先生の問いかけに反応する。自分なりの考えをまとめる。
難しい言葉が出てきたからといって、最初からお手上げというわけではない。
もちろん、そこには教える側の力量が大きく関わっているのだが、生徒の側にも、話を聞き、文章を読み、考え、意見を言い、他人の考えを聞く力があるということで、これは大したものだ。
◆普通のことを、普通にできる
ノートもよく取っていた。
タブレット全盛の時代だが、この授業では手書きも多い。
書くスピードもまずまず。字もそれなりに丁寧だ。先生の説明に遅れず、自分なりに整理している。
何だ、そんなことかと思われるかもしれない。
だが私は、こういう「普通のことを普通にできる」力を、もう少し高く評価していいのではないかと思っている。
廊下ですれ違えば挨拶ができる。
こちらから少し話しかければ、大人相手の会話ができる。
授業では先生の話を聞き、必要なことをノートに書き取れる。
友達とも意見を交わせる。
先生の指示も理解できる。
草加東高校は、いわゆる偏差値で言えば真ん中辺の学校である。
特別に勉強ができる生徒ばかりというわけではない。かといって、勉強がまったくできないわけでもない。
大学や専門学校へ進み、その後社会に出れば、普通にやっていける子たちだと思う。
◆学校歴が通用しない世界はいくらでもある
以前、仲間との会食で学歴社会、学校歴社会のことが話題になった。というテーマについては少し前に書いた。
確かに世の中には、高校歴や大学歴がものを言う世界がある。
そこでは、草加東高校のような学校の名前も、その後進む大学の名前も、大きな武器にはならないかもしれない。
しかし考えてみれば、高校歴や大学歴など、ほとんど通用しない世界はいくらでもある。
むしろ世の中の大部分は、そちらなのではないか。
どこの高校を出たかより、きちんと仕事を覚えられるか。
どこの大学を出たかより、人と普通に付き合えるか。
言われたことを理解し、自分で考え、周囲と協力し、任されたことを最後までやれるか。
そういう力の方が問われる世界は広い。
特別な学校歴がなくても、特別な資格がなくても、普通に働き、普通に家庭を持ち、普通に社会を支えていく人たちが大勢いる。
世の中とは、案外そういうものだ。
◆日本を支える「真ん中」の分厚さ
そして今日、草加東高校の授業を見ながら思った。
日本という国は、こういう「真ん中辺」にいる人たちのレベルの高さと、その層の分厚さによって支えられているのではないか。
一握りの天才やエリートだけで社会が動いているわけではない。
高度な研究をする人も必要だ。
難しい資格を持つ専門家も必要だ。
世界で戦う経営者や技術者も必要だ。
しかし同時に、社会の圧倒的大部分では、普通に人の話を聞き、普通に考え、普通に働き、普通に周囲と協力できる人が必要になる。
この「普通」の水準が高い。
そこに日本社会の一つの強さがあるのではないか。
◆「売りがない学校」は本当に何もないのか
学校広報の世界では、「うちの学校には売りがない」という話をよく聞く。
難関大学への合格実績があるわけでもない。
全国大会常連の部活動がたくさんあるわけでもない。
特別なコースや目新しい教育プログラムがあるわけでもない。
だから「何をPRしたらいいのか分からない」となる。
しかし今日の授業を見ていると、少し違うのではないかと思う。
ヴィトゲンシュタインの「論理空間」について友達と話し合える。
文章を読み、自分で考え、それを言葉にできる。
大人と普通に話せる。
人の話を聞ける。
必要なことをノートに取れる。
そして卒業後は、社会のどこかでちゃんとやっていける。
これは立派な教育成果ではないか。
派手ではない。
ランキングにも出ない。
数字にもなりにくい。
だが学校の価値とは、本来こういうところにもあるはずだ。
草加東高校だけではない。
県内各地には、こういう高校がたくさんある。
そして、そこで学ぶ高校生たちが、数年後には日本社会のあちらこちらで働き始める。
75年間生きてきたベテランとして言わせてもらえば、こういう子たちは世の中でちゃんと通用する。
このことは、断言まではしないが、かなり高いレベルで信頼してもらっていいと思う。
同校ホームページでは早くも、今日のことが記事になっている。

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