ユニクロのマスクをネットで購入しようと思ったが、サーバーがダウンしてしまったのだろうか、アクセスできない。
 「だから時代はクラウドなんですよ」(by蓮舫)

 今日から県をまたぐ移動の制限が解除された。
 「県をまたぐ」で最初に思い浮かんだのが、埼玉県加須市にある「三県境」だ。
 このことは旧ブログでも書いた。
 東武日光線「柳生駅」から歩いて5、6分。ここに埼玉・群馬・栃木の三県境がある。
 マニアの間では人気だと言う。私はマニアというわけではないが、開智未来高校に行ったときなどにちょいと立ち寄ってみる。
 左足を群馬、右足を埼玉、両手を栃木とやれば、結構インスタ映えするのではないか。
 

東武日光線「柳生駅」

 今日プロ野球が開幕した。
 来月4日にはサッカーJ1が再開する。
 来週は県立高校も通常登校に復帰する。
 こうして世の中が少しずつ平常運転に戻るのは喜ばしいことだ。

 私の人生の半分は昭和であるが、昭和の日本に自粛という思想はなかった。
 戦前は知らないが戦後生まれの私は自粛を知らなかった。
 大災害などがなかったわけではないが、世の中に自粛ムードが蔓延したという覚えがない。
 
 初めて自粛を体験したのは昭和天皇崩御のときだった。
 私は当時、新宿御苑まで記帳に行った。
 そういう種類の人間だ。
 が、それにしても当時の世相は、ちょっとやり過ぎではないかと思うことが多かった。

 以後、自粛が一般化した。
 「自粛を求める」とか「自粛要請」などという言葉も普通に使われるようになった。
 自粛とは自ら進んで行う行為である。
 求められたり、要請されたりして行うものはもはや自粛ではない。
 それは禁止と言え。

 欧米諸国ではロックダウンとか罰則規定を設けて人々の行動を規制した。
 対して日本は、それほど厳しい措置を取らずにコロナ危機を乗り越えたと賞賛する人がいる。
 が、はたして、そうか。

 法律で禁止されているわけでもないのに、マスコミが作りだした世の中のムードにつられ、周囲の目に怯えて、次々に個人の権利を放棄してしまう。
 自粛というのは権利の放棄だ。自由の制限だ。
 でも、それが自分の意志ならば、どうぞご自由に。
 しかし、自粛に名を借りた禁止により、自由や権利を簡単に放棄してしまうのは考えものだ。これはこれで恐ろしいことだ。

 自重、自戒、自制、自粛。
 それぞれ大事なことで、いい言葉なんだが、自粛だけがどこか違う方向に進んでるように思える。