いつもと同じ日常が続くはずだった2020年。東京五輪で盛り上がるはずだった2020年。
 しかし世の中というのは予想不可能で、いつ何が起きるか分からない。
 1年前の今日。来年は新型コロナウイルスの蔓延で混乱の世の中になると予想した人が何人いただろうか。

 私のブログでは原則記事毎にカテゴリー分けをしているのだが、1月には新型コロナに関する記事はなく、2月に東京マラソンの一般ランナー参加中止が決まったあたりから急激に増えている。
 結果、昨日までに「新型コロナウイルス感染症」というカテゴリーに属する記事を昨日までで76本も書いた。
 
 10か月間、毎日のように新型コロナのことを考えてきた。
 その分、それ以外のことを考える時間が失われた。

 医学的・科学的知識に乏しい、というか皆無に等しい私には、新型コロナの今後を予測することはできない。
 医者や科学者だって分からないことが素人に分かるはずないだろう。

 テレビに頻繁に登場する医者や専門家もちょっと怪しい。
 われわれよりはるかに詳しいことは確かだが、研究に没頭していたら、連日テレビに出るような真似ができるわけがない。
 もっといい加減なのはコメンテーターに言われる人々で、かれらはわれわれと同レベルの知識しか持っていない。
 だが、「知らない」「分からない」という言葉を使うことが許されない職業の人たちなので、「知ったかぶり」の技術は卓越している。
 放送作家が書いた台本を、さも自分の意見であるかのように話す演技力も人並み以上だ。

 最近マスコミでは、新型コロナウイルスに関して「変異」「変異種」という言葉が盛んに使われるようになった。
 「変異」というと「突然変異」という言葉を連想したりして、何か恐ろしいことが起きているように思われるが、ウィルスが「変異」すること自体は当たり前のことだ。
 絶えずマイナーチェンジを繰り返し、10年20年単位でフルモデルチェンジする。
 ウィルスだって生き延びようと必死なのだ。

 われわれは新型コロナウィルスについての医学的・生物学的な知識には乏しいが、新型コロナウィルスとの付き合い方については大いに学習した。
 なにせ春夏秋冬、1年中新型コロナウィルスと共に過ごしてきたのだから。

 今年は誰にとっても初めての経験であったから、多少の不手際や行き届かない点があっても、大目に見られた。
 まあ、お互い様といったところだ。
 しかし、1年間の経験を経た2021年はそうは行くまい。
 何か問題を起こせば、「何も学習していないではないか」と非難される。
 
 1年間の経験の蓄積があるというのは学校や塾にとってアドバンテージになるが、その分だけ採点基準が厳しくなる。
 後手に回っても、まあまあ大目に見られた2020年。
 先手を打たなければ評価されない2021年。
 予想と言えるほどのものではないが、そんな年になると思う。