ワクチン2回目を接種してきた。1回目の時は何も副反応は出ないものと確信し、翌日取材予定を入れ、何の問題もなく実行した。
 だが今回は一応用心のため明日は取材も打ち合わせも入れていない。
 病院の帰り、これも用心のためアセトアミノフェン配合の解熱剤を買っておいた。

 雨続きで高校野球の順延が続いている。
 屋根のない甲子園でやる以上、仕方ないことだ。

 野球は嫌いじゃないが、見るだけでやったことがない私などは「別に甲子園じゃなくてもいいんじゃね」と思う。
 京セラドームでも、名古屋ドームでも(今はバンテリンドームか)、何なら東京ドームでも。
 が、「いやいや、甲子園でやってこその高校野球なんだよ」という方もいらっしゃる。

 確かに場所は大事だ。
 プロ競技の場合だが、ゴルフの四大大会のうち、全米オープン・全米プロ・全英オープンは開催地を変えるがマスターズだけはオーガスタと決まっている。
 テニスのウィンブルドンもしかりで、これにより聖地と呼ばれる。
 
 永年固定した場所で開催されると、いつしか大会の代名詞となる。
 今行われている高校野球は「全国高等学校野球選手権大会」であるが、誰もそうは言わず「夏の甲子園」とか単に「甲子園」と呼ぶ。

 ちなみに春の大会は「選抜高等学校野球大会」である。
 選考によるため出場のない都道府県もあるため「全国」はつかない。
 夏は「選手権(チャンピオンシップ)」であるが、こちらは「野球大会」で、いまいち重みに欠ける。

 話を戻す。

 「甲子園」は夏の高校野球の代名詞となり、ある種のブランドともなった。
 「甲子園に出たことがある」と言えば、かつて高校球児であり、全国大会に出場経験があるということである。
 時々、「アメラグで?」とかボケをかますやつもいるが、普通は何の競技かとは聞かないものである。
 それほどに「甲子園」は定着した。
 「甲子園」で想起されるのは高校野球、さもなくば阪神タイガース。

 さて、本来は大会そのものに価値があり権威があったわけだが、いつしか開催場所である「甲子園」も同様な価値と権威を持つようになった。
 そこで、こうした価値や権威、あるいは認知度を借用したくなる。
 「〇〇の甲子園」というやつである。
 「甲子園」と言っておけば、それだけで高校生による全国的な大会であることが伝わる。

 それなりに歴史のあるスポーツは、あえて「甲子園」は名乗らない。
 たとえば、全国高等学校ラグビーフットボール大会は「花園」を使う。
 まあこれは当然で、甲子園はアメラグの試合場にもなるから、「ラグビー甲子園」などと言ったら、本当に甲子園が試合場なのかと思われてしまう。
 と言うわけで、運動部系は、誤解を避けるためと、野球への対抗意識から、積極的に「甲子園」を使おうとはしない。

 その点、文化部系は使い放題だ。
 科学の甲子園、将棋の甲子園、写真甲子園、俳句甲子園と使い放題。
 興味がある方は「甲子園の付く大会」とでも検索してみればいい。呆れるほど、いや、笑えるほどある。

 地名の代名詞化ならよくある。
 古くは「〇〇銀座」。
 全国各地の「小京都」。
 最近なら・・・
 よく分からんが、埼玉の鎌倉、埼玉の田園調布、埼玉の軽井沢。
 そんなのあるんか。
 いや、適当に思い浮かんだのを書いただけだ。
 埼玉にそんな気の利いた場所があるわけない。

 特定の商品名(商標)が一般名詞として使われることがあるが、それにも似ている。
 温水洗浄便座はTOTOの商標だが、みんなウォシュレットって呼んでんだろう。
 二次元コードはデンソーの商標だが、QRコードで済ませてるだろう。
 その伝で、高校生の全国大会は「甲子園」。

 しかし、そう考えると、「甲子園」は高野連や朝日新聞社のマーケティング戦略の賜物と見えてくる。
 長い年月をかけ、膨大な資金を投じ、育て上げてきたものなのだ。
 そう簡単に捨てられるか。

 「夏の京セラ」
 「夏のメットライフ」
 「夏のヤフオク」
 「夏のバンテリン」
 これらは、「夏の甲子園」と同様のことを言っているわけだが、これが高校生全国大会の代名詞となり、ブランド価値や権威を持つまでに一体どれだけの時間と費用がかかるか。
 だから高野連や朝日新聞社は、試合消化に悩まされようと、熱中症の心配があろうと、「甲子園」は絶対に捨てないわけである。
 まあ手っ取り早いのは甲子園をドーム球場にし、なおかつ命名権(ネーミングライツ)を売り渡さないことだ。

 私は元高校球児でもないし指導者でもないからよく分からないが、彼らは全国大会に出場することや、そこで頂点に立つことが大きな目標であって、場所にはさほどこだわっていないのではないかと想像する。
 東京ドームでやっても(朝日のライバル読売系なのであり得ないが)、日本一は日本一だ。
 
 数々の問題を抱えながら、それでも「甲子園」にこだわるのは、高校球児よりも、むしろ主催者側にあるというのが本日の結論だ。