こういう話をすると、「だから年寄りは…」と言われるのがオチだが、それでもいい。
 
 「卒業式のバラエティ化」という言い方があるのかどうか。
 そこはよく分からない。
 今日のこのニュースを見て、思いついたのだが、すでにどなたかが言っているかもしれない。
 「安倍晋三元首相が近大卒業式にサプライズ登場 山中伸弥氏、堀江貴文氏らに続き、今年もビッグゲスト」

 近畿大学は、皆さんご存知9年連続受験者数全国一を誇る大学である。
 この大学の創設者は世耕弘一氏である。
 その孫にあたるのが、世耕弘成参議院議員(現・参議院自民党幹事長)であり、弘成氏は自民党安倍派に属する。
 そんな関係で、安倍晋三元首相のサプライズ登場となったと思われる。

 この大学は、過去にも山中伸弥氏、堀江貴文氏、三木谷浩史氏、又吉直樹氏、西野亮廣氏らの著名人を卒業式ゲストスピーカーに招いている。
 こうなるとマスコミ側も、今年は誰だろうと待ち構えるようになる。
 そして、毎年のように記事にしたり、放送したりする。
 近畿大学の広報戦略の勝利だ。
 
 だが、これは大学の話だから、そこまで目くじら立てることもあるまい。
 それに式典のバラエティ化、ファッションショー化は今に始まったことではない。

 問題は小中高の卒業式だ。

 今の時代だから、「形式ばった式典は嫌だ」、「もっと楽しい卒業式を」という声も出てくるだろうが、それは卒業式本来の目的からはずれる。
 卒業式は、学習指導要領の中に、学校行事として位置づけられている。
 さらに言えば、学校行事の中の「儀式的行事」という扱いだ。

 「学校生活に有意義な変化や折り目を付け、厳粛で清新な気分を味わい、新しい生活の展開への動機付けとなるような活動を行うこと」(学習指導要領より)
 これが卒業式等、儀式的行事の意義目的だ。
 ついでに言えば、卒業式では「国旗を掲揚するとともに、国歌を斉唱するよう指導するものとする」となっている。

 卒業式は、別名「卒業証書授与式」である。
 卒業証書を授与するのがメインだ。
 時間の関係で代表者のみ授与となることも多いが、本来は卒業生一人一人を登壇させ、直接手渡すべきである。
 極論すれば、卒業式において、これ以外のことは必要ない。
 国歌や校歌を斉唱し、せいぜい校長の式辞があれば、それでいい。
 厳粛であることが重要であって、楽しく面白くある必要はない。
 テレビ向け演出満載のオリンピック開会式・閉会式などと一緒にしてはいけない。

 どうしてもサプライズ演出が欲しい。
 それがないと思い出にならない。
 そこまでこだわるなら、儀式とは切り離してやればいい。
 結婚式に対し、結婚披露宴があるように、第二部としてやればいいことだ。

 儀式を型通り厳粛に執り行うのは、日本だけの伝統ではなく、世界の常識、世界の伝統であろう。