作問力。一応、教育界の業界用語と言っていいと思うが、自身の記憶をたどってみると、オリジナルな試験問題を作れるようになったのは、教員になって5、6年、いや、もっとだな、7、8年経ってからだと思う。

 問題の解き方を教えるのは易しいが、問題そのものを創作するのは難しい。

 高校の教員の場合、定期考査があるから、少なくとも年に5回は試験問題を作らなければならない。経験が浅いうちは大学入試問題などを参考に、というより、ほとんどコピーしたような問題でお茶を濁すわけであるが、次第にオリジナルな問題を作りたくなる。いや、作れなくてどうするという気持ちになる。

 ところが、こいつが果てしなく難しい。クイズみたいな問題だったら、いくらでも作れるが、生徒の本質的な理解を問うような問題は、そうそう簡単に作れるもんじゃない。
 
 とりあえず作問してみる。
 待てよ。ここはそんなにしっかり教えてなかったな。説明が足りなかったな。じゃあ問うても意味ないか。
 みたいな感じで、何のことはない、授業の反省会だ。

 授業をちゃんとやってないと問題は作れない。
 その裏返しで、良問を作ろうと努力すれば、授業の改善につながる。

 というわけだが、以上のことに気づいてから間もなく、私は教員を辞めてしまったので、結局、作問力はつかずじまいであった。
 そのくせ、人の作った入試問題を、こいつは良問だ、これは愚問だと論評しているのだが、まあ、仕事のうちなんで…

 さて、今日はなぜ作問の話になったかというと、昨日、浦和麗明高校の数学の授業を見学させてもらったところ、生徒に作問させるという授業を行っていたからだ。
 授業形式としては昔からあるもので、その効果も報告されているが、指導者の経験が必要だし、生徒の方にもあるレベル以上の学力が求められる。なかなか難しいチャレンジだ。
 作問力に疑問がある私が言うのも何だが、昨日の授業はかなりいい線行っていたように思う。それを受けての今日の話題だ。