「学校は命をかけてまで行く所ではありません」。さて、ツッコミを入れるとするか。これは9月12日の岐阜市議会一般質問において、同市・早川三根夫教育長が、いじめを受けている子に対するメッセージとして述べたものだ。
 「今あなたが悩んでいる班とか学級とか部活は、狭い世界です」とも述べている。

 岐阜市では7月、市立中学3年の男子生徒が転落死し、自宅からいじめを示唆するメモが見つかっている。

 新聞報道では発言全体が分からない。もしかしたら、意図的に切り取られているかもしれないし、紙数の関係でやむを得ず一部を切り取ったかもしれない。こういうときは議事録を当たってみるのがいいわけだが、まだ掲載されていなかったので、発言は、ほぼ新聞報道通りだったと仮定しよう。

 「学校は命をかけてまで行く所ではありません」。
 はて、これはどういう意味なのか。学校に行くことが死ぬほど辛いなら来なくてもいい。休んでもいい。そういう意味か。
 ちょっと聞けば、なるほどそうかもしれないと納得してしまいそうだが、待てよ。学校に来られない子の葛藤は、行きたいのに行けないというところにあるんじゃないのか。
 先生による体罰やパワハラがあったり、友達によるいじめがあったりして、行くに行けない。
 だとしたら、真の解決策は、教育委員会や学校や先生が「命をかけてイジメを根絶する」ことであって、学校に来なくていいというのは何の解決にもなってない。
 「命をかけて」の使い方が間違っている。

 もう一つ。
 「今あなたが悩んでいる班とか学級とか部活は、狭い世界です」。
 この教育長さんの経歴は不明だが、民間出身か、大学の先生か、いずれにしても現場で児童生徒を教えた経験はないものと思われる。

 大人から見れば、学校や学級や部活なんて狭い世界に違いないが、子供にとってはそれが世界、それが宇宙だ。そこでの悩みが生きる悩みのすべてだ。

 大人にしたらどうでもいい小さなことでも、経験の少ない、未熟な生徒たちにとっては大問題なのであるから、それを一つひとつ丁寧に拾い上げ、真正面から向き合ってあげるのが、先生のお仕事というものだ。

 いじめが原因と推定される自殺が起こっている以上、教育長はじめ関係者が重大な事案として受け止めているのは確かだと思うが、残念ながらこのメッセージでは届かないだろう。