頑なにアナログに拘る人々。世の中には結構いると思うのだが、趣味の世界ならまだしも、仕事でこれをやられると、ちょっと困りものだ。
 
 「FAX送りたいんで番号教えてくれますか」
 「スミマセン。FAXだと読みずらいんでメール添付でお願いできますか」
 「いや、私メール使ってないんで…」
 おいおい正気か。じゃあ郵便で送れってか。家帰って子供に聞きなさいよ。こんなもん明日から出来るから。
 というような人が、わずかながら残っている。

 知り合いに商売(商店)をやっている人がいて、クレジットカードで支払おうとしたら、うちは現金だけだと言う。
 おやおや、今どき珍しい。でもまあ、それなりに投資費用もかかることだし、個人商店だと難しい面もあるのかな。

 えっ、そういう話じゃない。
 ではなぜ?
 「温もりを大事にしたいの。現金をいただいたり、お釣りを手渡したときに、ちょっと手が触れ合うでしょう。その瞬間が大切なの。カードだと味気ないじゃない」。

 問題は、その温もりとやらをお客の側が求めているかだ。少なくとも私はそういうものは求めていない。
 温もりを大事にすることには賛成するが、その方法が現金払いであるとは思わない。
 その店はほどなくして廃業した。

 いつも通り、えらく長い前置きだが、ここから本論。
 前フリが長くて、本題がアッサリなのが悪い癖だ。

 デジタル全盛の時代に、アナログに拘ろうというのは悪くない。
 昔ながらの方法には先人の知恵が詰まっており、長く続いてきたのにはそれなりの理由もあるわけだから、訳もなく手放すのはもったいない。
 やれICT教育だAIだとけしかけられ、ただ流行に乗り遅れたくない一心でそれらに飛びつくより、アナログに拘った方がいい場合だってある。

 ただし、お客に対し個人の趣味を押し付けるのはまずい。
 お客に歓迎される拘りと、反発を受ける拘りがある。

 またもう一つ注意したいのは、じっとして取り残された結果の差別化、特色化では意味がないということだ。みんなが先に行ってしまう中、一人ポツンと取り残されれば、それは確かに目立つがそれではダメだ。
 デジタル化には積極的に取り組む。良いと思う新しいものはどんどん取り入れる。そういうタイプの人が、いやしかしここだけは断固アナログで行くぞと言うから説得力があるのだし、共感も得られるのだ。