東京アラートって何じゃ。アラームとどう違うんじゃ。アラートが発動されるとレインボーブリッジが赤色の点灯になるらしいが、何で東京タワーじゃないんだ、スカイツリーじゃないんだ。まったく、横文字使えばいいってもんじゃないぞ。

 ただ、ニュース映像としては、いわゆる「おいしい絵」にはなるな。文書で発令するのではなく、マスコミが食いつきそうな絵になる風景を付けてあげるあたりが、テレビキャスター出身の知事らしいところだ。同じテレビ界出身の黒岩・神奈川県知事や、タレント出身の森田・千葉県知事より一枚上手。

 東京で久しぶりに感染者が増えたというが、半分は病院での感染でしょう。院内感染や施設内感染をどうやって自粛で防ぐのよ。
 普通、そう考えると思うが、都知事選も近いことだし、マスコミへの露出を増やしておきたいんだろうね。コロナ対策なのか選挙対策なのか、よく分からん。
 
 いかん。またいつものように無駄話が過ぎた。
 今日の本題は今後のオンライン指導についてだ。

 学校や塾での対面授業が再開されると急速にしぼんで行きそうだ。
 投資もして、スキルも上達したのにここで終わらせてしまうのはもったいないのだが、まあ、ある程度予想していたことだ。
 なぜなら、教室における対面授業の代替策として、あるいは臨時的なものとして広がったものだからだ。
 だから、役割が終われば廃れてしまう。

 しかし、オンライン指導やら映像授業やら、つまりICT教育というやつは、本来、教室における授業の代替案として構想されたものではない。授業を深化させ、学校教育の新しいスタイルを実現させるためのものだった。

 今回たまたま、偶然に、なるほど、こういう使い方もあったのね、こういう時にも役立つのね、というのを発見しただけなのだ。
 非常時に役立つからPC一人一台って、誰も言ってなかったでしょう。

 ということは皆さん、いったん4月、5月にやって来たことを忘れなきゃいけないのですよ。代替案だったのだから、その役目が終わったら忘れていいの。また代替案が必要になったら引っ張り出してくればいいじゃない。

 代替案だったそれを、学校が再開された今、無理矢理押し込もうとすると、せっかくの対面授業が崩れますよ。

 PCやタブレットが本来の力を発揮するのは、むしろこれからだ。
 そういう意味で、ここ数か月の経験からいったん離れることが大事。そこにとらわれ過ぎると、新しい可能性が発見できない。

 塾の先生方から、この数か月の経験をどう活かしたらいいか、どうつなげたらいいかと問われるので、いや、活かさなくていいんだ、つなげなくていいんだ、その変なこだわりが自由な発想を妨げるのだと答えている。