新型コロナによる臨時休校によって、学校における会議が減った。それに伴い印刷物(資料)も減った。という話がいろいろな学校から聞かれる。
 いいことだ。
 いっそこのまま会議なんてやめちまえ。

◆会議の無い日は一日もない
 自分が教員だったときは、それが当たり前だったので、さほど疑問に思わなかったが、民間企業に転じてからは、定例の会議というものは、あってもせいぜい週1程度だったので、そこで初めて学校における定例会議の異常なまでの多さに気づかされたのである。

 職員会議、学年会議、分掌会議、教科会議。それに「○○委員会」のような常設ないし特別プロジェクトの会議も加わる。
 分掌というのは、教務部とか生徒指導部とか進路指導部みたいな役割分担のことだ。普通は全教員がどこかの分掌に所属する。
 職員会議だけは放課後にしかできないが、学年・分掌・教科あたりは時間割の中に組み込まれているのが一般的だろう。

 まあこれだけあると、1週間で会議の無い日は一日もないという状況が出現する。と言うことは、ひと月の中で会議の無い日は一日もなく、学校に行っている日は毎日必ず会議があるということになる。

◆職員会議は学校特有の会議
 他の会議はともかく、職員会議だけは学校にしかない特有な会議だ。
 その証拠に、「いや、全社員会議が長引いちゃって」と言っても、その人がどんな業種の会社に勤めていて、どんな仕事を担当しているか分からないが、「いや、職員会議が長引いちゃって」と言えば、その人が学校に勤めていて先生だということが一発で分かる。

 たしか法律的には「校長の職務の円滑な執行に資するため,職員会議を置くことができる」だったと思う。つまり、なくてもいい。
 が、職員会議を置いていない学校は稀で、普通はある。
 私の現役時代は週1であったが、今は隔週ぐらいに減っているようだ。月1という学校もあると聞いている。

◆全員が同じ仕事だから可能な職員会議
 民間企業などで、全社員会議や全支社・全支店会議が行われないのは、そこに属する社員が、それぞれ別々の仕事を行っているからだ。
 総務、経理、人事、営業というように持ち場がそれぞれ異なる人間が総出で話し合って決めなくてはならないテーマなどない。
 その点、学校では事務職員などを除けば、全員が「先生」という同じ仕事を行っている。だから職員会議という特殊な会議が可能になってしまう。

◆「みんなで決める」から脱出できるか
 会議の機能は、「議決(決定)」と「共有」であると言われている。
 「議決」は何かを決めること、「共有」は情報の共有及び周知徹底だ。
 企業は通常、社長・部長・課長のような縦の関係がはっきりしている。給料に差があるだけでなく、決定権に違いがある。
 平社員は意見を述べることはできるが決定権はない。決定にも関与できない。ものごとを多数決で決めているような企業に明日はない。

 ところが学校というのは、「鍋蓋(なべぶた)組織」などと言われていて、鍋の持ち手の部分に校長がポツンと出ていて、残りは平ら(フラット)という関係。
 一応、部長とか主任といった役職にはなっているが決定権があるわけではない。
 よく言えば、みんな平等に発言権があり、決定に関与できるということであるが、その分だけ会議が多くなる。

 何事も「みんなで決める」のは学校の美風か悪習か。
 ここは難しいところだ。
 私が根っからの民間人だったら、なにバカげたことやってるのよで終わりだが、なまじ経験があるだけに判断に迷う。
 「みんなで決める」のは手続き的には正しいとしても、決めたことが正しいかどうかは分からない。みんなで間違った決定をしてしまうことだってある。

◆多数決をやめる
 今日のお題は、会議を減らせないかということだ。
 ベテランだろうが新人だろうが、同じ仕事をしている以上は、みんな平等に意見が言える。その習慣は残したい。が、その一方で、決定権は放棄する。論争はしない。決定権は会議の主宰者に属することとする。これはつまり多数決でものごとを決めないということだ。

 まあ、「今度の職員旅行、熱海にする? 草津にする?」みたいな、どうでもいい軽い話は多数決でも構わないが、大事なことほど多数決にはしない。
 おそらく、学校では(特に公立では)、大事なことほどみんなの話し合いで決めるべきだと考えている先生も多いと思われるが、大事なことには責任が伴うのであるから、責任が取れる立場の人に決定を委ねるべきだ。
 こういうルールを確立せずに会議を減らそうとか、短くしようとかしても現状は変えられないだろう。