9月第3月曜日、すなわち今日は「敬老の日」である。が、これとは別に「老人の日」というのがあるのを知ってるか。当の老人である私が知らんのだから、お若い方はご存知ないだろう。
 「敬老の日」は、国民の祝日に関する法律で定められた祝日の一つである。
 一方、「老人の日」は、老人福祉法に定められた記念日で、9月15日(以前の敬老の日)がその日であり、以後21日までの1週間が「老人週間」である。
 以上、どうでもいいクソ知識。

◆冥土に何を持って行くか
 「冥土の土産」という言い方がある。「メイドの土産」なら分かるが、あの世に行くのに土産物が要るのか。
 って、そんなもん要るか。
 だいいち棺桶の中にいろいろ詰め込んでも1000℃ぐらいで燃やされてしまうんだぜ。あの世には何も持ち込めないよ。
 「冥土の土産」とは、これさえかなえば思い残すことはないと言う場合の冗談めかした表現だ。
 もともと何も持たずに生まれてきたのだ。
 あの世にも手ぶらで行けばいい。

◆この世に何を残すか
 あの世に何を持って行くかはどうでもいいが、この世に何を残すかはちょっとは考えたほうがいい。

 ところで、この世に何か残すと言った場合、二通りの意味が考えられる。
 多くの人は身内(家族)を想定し、財産(金目のもの)を残すことを考えるだろう。
 株でも預貯金でも土地家屋でも、残せるものは何でも残してやればいい。
 残したことがマイナスになることもあるが、プラスになることだってある。五分五分だ。

 財産が残せない場合は、せめてマイナスの財産、つまり借金だけは残さないようにしよう。
 これも十分立派なことだと思うから、私はここを目指そう。

◆この世に残すもう一つのもの
 この世に残るのは、身内だけではない。
 生前付き合いのあった人々に、金目ではない何かを残したい。

 自身の経験や知識を何らかの方法で残せれば、なんぞの時に役立ててもらえるかもしれない。
 がしかし、これは100%自己満足である。思い過ごしである。
 私のようにごくごく平凡な、と言うよりろくでもない人生を送ってきた者の経験の中に、未来を切り開く知恵などあろうはずがない。

 と思いつつ、それでも何かをこの世に残そうと必死でもがく。これが人生というものだ。

 一つはっきりしていることがある。
 成功の経験など、後に続く者にとって何の役にも立たない。
 成功には時の運ということがあるが、失敗はほとんどの場合実力である。
 自分には何が足りなかったか、どこで誤ったか。
 それを伝えた方が、どれほど有用か。
 うん、これなら出来そうだ。

 以上、毎年恒例の老人の主張である。