学術会議。名前は知っていたが、どんな組織なのかと聞かれたら説明できない。
しかしこれは、学術会議に限ったことでなく、世の中には私が知らない組織が無数にある。
学者でもない私にとって、学術会議のことなどこのまま知らずに死んでもまったく悔いは残らない。
が、その程度のことであるのに、この度の任命拒否事件で、僅かながらもその実態を知ってしまった。
もう余計な情報を与えないでくれよ。
と、言いたいところだが、実はそこが政権の狙いなんだろう。
狙いとはすなわち、学術会議の存在とその実態を世間に知らしめることだ。
任命を拒否すれば、マスコミや野党、一部の学者から「学問の自由」の侵害だという声が上がるのは目に見えている。
案の定、「学問の自由」を守れの大合唱だ。
しかし、これは菅政権としては想定の範囲内だ。
それと同時に、「学問の自由」は大事だが、そもそも学術会議って何よという声も上がった。
当然だ。
学術会議の何たるかを知らねば議論にならない。
すると、学術会議は政府の一機関であるとか、会員の身分は特別職の国家公務員であるとか、年間10億円の予算が計上されているとか、
今まで知らなかったさまざまな情報が明らかになった。
いや、正しく言えば、情報は公開されていた。
ただ、世間はほとんど関心を示さなかったというだけの話だ。
ところが、狙い通り大騒ぎしてくれたものだから、世間が学術会議に注目するようになった。
で、これもおそらくは想定の範囲内だ。
「学問の自由」は、当然守らなければならないが、それはそれとして学術会議のあり方はこのままでいいのか。
そのように考える人もいるはずで、私もその一人だ。
80万人はいると言われている学者の中の、ほんの数百人、さらにそのうちの6人が会員になれなかったからといって、直ちに「学問の自由」が侵害されたというのは、ちょっと飛躍が過ぎる。
職を追われたり、研究費をストップさせられたとか、論文発表の機会が奪われたというなら話は別だが、名誉職のような会員になれないというだけのことだ。
狙いは菅政権の目玉である行政改革、規制改革だろう。
おそらく学術会議の件は、「あり方を検討する委員会」などが立ち上げられ、予算を削減するとか、独立法人化するといった方向で改革が進められるだろう。
行政改革や規制改革は、既得権益との戦いであるから、国民世論の後押しが不可欠だ。
そういうムード作りの一環として、学術会議が使われているのだろう。
学術会議なんてものは、はっきり言って、明日からの私たちの生活にはどうでもいいことだ。
そういう、どうでもいいことを使ってムードを高め、実績を作り、支持を獲得して行く。
政治家というのは油断がならない。
さて問題は、マスコミや野党の皆さんが、本当に政権の罠にはまっているのか、それともはまったフリをして「学問の自由」の侵害だと騒いでいるのか、そこである。
マスコミや野党のもバカじゃないから、私はフリをしているんじゃないかと思っている。
となると、この度の件は、とんだ茶番劇ということになる。
政治家というのはますます油断がならない。
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