私のような先のそう長くない人間でも自分の業界や自分の仕事はこの先どうなるんだろうと予測をしてみる。
 冷静に考えれば、5年先、10年先、自分がこの世に存在しているかがまず疑わしいのであって、予測にはあまり意味はない。
 が、一応現役であるわけだから、せめて2、3年先ぐらいは考えておいたほうがよさそうだ。

 その際、注意していること。
 それは、予測に願望を持ち込まないことだ。
 「未来はこうなるだろう」は予測であるが、よほど注意していないと、この中に「こうなって欲しい」「こうなって欲しくない」という願望が入り込んでしまう。

 誰だって自分の属する業界が衰退するとは思いたくない。
 自分の仕事に対する需要がなくなるなどと思いたくない。
 生き残ってみせるという意地もある。
 だから自分の中で無意識のうちに願望が予測に変換されてしまう。

 先日、若い中小企業経営者と話していたときのことだ。
 私は言った。
 「第三者的に見ると、あなたが今やっている仕事の一部は、限りなく市場が縮小しているように思えるが、何か対策はあるのか」
 すると、かれはこう答えた。
 「市場が縮小しているのは事実ですが、この仕事がなくなるようことはありません」
 私はさらに言った。
 「なくなるかなくならないかではない。市場の縮小が問題なのではないか。市場が小さくなれば、その中で生き残ることのできる企業が減る。つまり競争が激化するということだ。それに対する策があるのかと聞いているんだが」
 かれは言葉に詰まった。
 私は追い打ちをかける。
 「なくならないからと安心している場合じゃない。そもそもあなたは、業界や市場の予測に、己の願望を込めていないか。私は自分がそれでさんざん失敗してきたからよく分かる。起きてほしくないという願望を起きないだろうという予測に脳内変換してしまっているのだ」

 自分がそうだから、他人もそうだろうと簡単に決めつけてはいけないが、結構多そうな気がする。

 その予測は客観的データに基づいたものですか?
 そこに自分の願望が含まれていませんか?
 未来や近未来を予測するときは、常にこの二つを注意しよう。