今日のは肩の力抜いて読んでもらおうか。
 そのうち何か教訓的なことを語るんじゃないかと期待しないように。

 数日前「自学力の育て方」という本について書いた。
 しかしこの言い方、昨日今日生まれたわけではなく、「自学自習」といった形で大昔から言われてきたことだ。 
 ただ、ここ十年来、「自学」に「力」をプラスし、「自学力」と言われるようになり再び三度注目されるようになった。
 
 何でもない単語でも、そこに「力」という一文字を追加すると、何か不思議なパワーを感じられるようになる。
 「今から間に合う受験力アップ、10の方法」
 「面接力を鍛えるには」
 「内申力で差を付けろ」
 「数学は証明力がカギ」
 と、手当たり次第「力」を付けりゃ、一体どんな力?と興味を惹きやすい。
 受験生向け記事を書く私としては、この手法に習熟する必要がある。

◆自学と独学
 自学というのは、自分で目標や計画を立て、主体的に学ぶといった意味だろう。
 そんなことは昔から分かっているし、出来る人間はみんなそうしてきた。
 今さら、「そうか、本来の勉強って、それなんだ」と感心するような話ではない。
 強いて新しさと言うなら「自学自習出来る子」と言わず、「自学力のある子」と言い換えた点であろう。

 自学と似た言葉に独学というのがある。
 自ら学ぶのに対し独りで学ぶ。

 独学には教育者、指導者、師匠(師)に当たる存在がいない。
 学ぶにあたって学校、スクール、塾といった組織・機関に頼ることもない。

 それに対し、自学の方は、学校や塾という学びのための機関があることが想定されている。
 そこに先生という存在があることを前提としている。
 つまり、独学はある意味、学校や先生を無視するか否定しているのであるが、自学の方は学校や先生の存在抜きには成立しない。
 「わが校は独学を推奨しています」と言ったら、自らの存在を否定していることになるが、「わが校は自学力を育てます」は、自己否定にはならないのである。

◆自学力ついても塾はやめない
 塾の先生から、子供が自学力つけたら、自分で勉強するからとやめてしまうのではないかと聞かれる。
 いや、その心配はない。

 なぜなら、自学の習慣や能力の高い数パーセントの子は元々塾に来ていない。
 これからも来ない。
 塾から見れば、市場の外にいるのだ。

 さらに。
 自学力は一朝一夕に身に付くものではない。
 小学校6年間では無理。
 中学校3年間でも無理。
 高校3年間でもどうだか。

 つまり。
 これ、永遠の課題みたいなもの。
 終わりのない旅なのだよ。
 だから、あの手この手で自学力を高めても、学校も塾も要らないやとはならない。

◆自学力より自虐力
 ここから余談。

 最近、年寄りと会うことが多いと繰り返し書いている。
 (年寄りが年寄りと会うのは普通なんだけどね)
 彼らは口を開けば昔話、自慢話、武勇伝だ。

 そんな彼らに私は「自虐力」の勧めを解くのである。
 謙遜ともちょっと違う。これも度を超すと嫌味になる。
 そうではなく、己の失敗を笑いに変える力。
 それがここで言う「自虐力」。
 
 いい年こいてマウント取ろうとするんじゃないよ。
 数えきれない失敗の上に、たった一度の成功があったんだろう。
 その成功だって、多分にラッキーによるもの。

 年をとったら自学力より自虐力。
 ただしこれは、独学せざるを得ない。