初詣は地元・調神社(つきじんじゃ)へ。浦和の地元民は調宮(つきのみや)神社、または単に調宮と呼ぶ。
 この神社には鳥居がない。「調」は、歴史の教科書で習った「租・庸・調」の「調」であり、調物の運搬の妨げになるため鳥居がないのだとされている。
 「狛犬」ならぬ「狛兎」のある神社として知られるが、「調(つき)→月→うさぎ」という連想から来ているらしい。

 祭神は天照大御神(あまてらすおおみかみ)、豊宇気姫命(とようけひめのみこと)、素盞嗚尊(すさのおのみこと)である。
 ちなみに伊勢神宮内宮の祭神は天照大御神、伊勢神宮外宮の祭神は豊受大神(=豊宇気姫命)である。

 さて、昼前に参拝に出かけてみた。
 ここは日常的に参っている神社であり、旧中山道沿いの表参道からではなく、裏から本殿に向かうことが多い。
 今日もそのルート。
 予想どおり、なかなかの混雑ぶりだ。
 が、それほど待つことなく参拝を終えた。

 帰りも裏口を出て、旧中山道側に回ってみた。
 すると、道路をふさぐような大行列が出来ているではないか。
 30分、いや1時間待ちくらいか。
  
 本殿の前にも行列が出来ていたが、皆さんそこに至るまでこんなに待っていたのか。
 裏から入ったのは、別にインチキしたわけではなく、ちゃんと本殿入口の案内板に沿ったもので、整理の係員から止められることはなかった。
 長時間待たされている皆さんには申し訳ないことをしてしまったが、年に何十回も参拝している常連客の特権みたいなものだ。

◆今年はどんな年に
 この年になると、今年はあれをやろう、これをやろうといったことをあまり考えなくなる。
 本当は、人生の持ち時間が少ない我々高齢者こそ、残り少ない人生の使い方を考えたほうがいいのだが、どうもそういう気分になれない。
 
 今年はあれをやるぞ、これもやるぞと決心できるのは、暗黙に「生きる」を前提としているのであって、その保証がない高齢者に大それた決意など出来ようはずがない。
 なので、今年も成り行き任せ。

◆人生最後の・・・
 最近よく思うのが、「これが人生最後」ということである。
 どこかに出かければ、「これが人生最後で、もう二度と来ることはないな」などと思う。
 何か珍しいものを食っても、「これが人生最後」になるかもしれない。
 ちょっと高価なものを買えば、あと5年10年使えそうだから、「これが人生最後」の買い物かも。
 といった具合で、いろんなことが「これが人生最後」と思えてくるのである。

 皆さん!
 次がある。
 そう思えるって幸せなことなんだよ。
 ただ、それに甘えて、次ね、また今度ね、そのうちね。
 そう言い続けているうちに、あっという間に時間は消費されてしまう。

 人生、もっと早くにやっておけば良かったと悔いることはあっても、やるのが早過ぎたと悔いることはないからね。
 あわててやって失敗することだってあるが、早くやった分だけリベンジの余裕が残されている。
 課題や懸案を一つでもいいから解決したり実行したりできる一年になることを祈る。