今日は中学生向けに大人の教養を一つ紹介しておこう。
 「賽は投げられた(さいはなげられた)
 賽(さい)は、この場合、サイコロである。
 数学の確率の問題でよく出てくる、あのサイコロ。
 
 勝負を決めるためのサイコロはもう振られちゃった。あとはもう、あれこれ迷わずやるっきゃない
 そんな状況で使われる言葉。
 なので、すでに願書を提出してしまった受験生にちょうど当てはまるんじゃないかと思う。

 元々はユリウス・カエサル(英語風だとジュリアス・シーザー)という人が発した言葉とされている。
 カエサルは、キリストが生まれる前、つまり紀元前の人。
 高校で世界史を学ぶと一番最初の方に出てくる。
 その当時、西洋にはローマという国があったが、カエサルはその国の軍人・政治家で、ライバルたちを抑え、後に独裁者になった。

 えっ、ローマって国なの?
 イタリアの首都じゃないの?
 というのは、世界史の学び初めにみんなが悩むところだが、2千年前はローマが国であった。
 しかも、とてつもなくデカい、強い国だった。
 現在のイタリア・ローマは、世界的に観光都市として名高いが、多くの遺跡はこのころに造られたものだ。

 と、この手の話は、元世界史教師の私が始めると、とめどなく続くので、これくらいにして、「賽は投げられた」に戻ろう。

 願書は出してしまった。
 もう変えられない(実際のところ1回は変えられるが)。
 事が始まってしまった以上、もう後戻りはできない。ひたすら前を見て進もう。

 もう倍率のことなど考えない。
 平均点がどうの、合格最低点がどうの、調査書点がどうの といったことは、もう十分考えつくしただろう。
 「賽は投げられた」というのは、それら一切を頭から消し去ることだ。
 
 賽を投げるのはいいが、時々間違って「匙を投げる(さじをなげる)」人がいる。
 この場合の匙は食事で使うスプーンではない。
 昔、医者(漢方医)が匙を使って、薬を調合していた。
 いろいろ試すが、もうこれ以上見込みはないと治療を断念する。
 これが「匙を投げる」。
 
 少ないがまだ時間は残されている。
 決して匙を投げるような真似をしてはいけない。