芸術の秋なのでアートに関する話題を少々。
 川口市アートギャラリーで企画展が開催されている。
 ポスターはこちら。
 

 この様子は11月6日付埼玉新聞で記事紹介された。
 
 良い記事を書いてくれたが、残念、作者本人の名前が違っている。
 青木邦雅×
 青木邦眞○

 私はさっそく本人に電話した。
 「見てないと思うけど埼玉新聞に出てたぞ。『鬼才』って書いてあった。鬼凄い才能ってことだ。ただ、残念なことに名前が間違っていた」
 新聞記者もたまには間違うことはあるさ。

 そうそう。言ってなかったが、青木邦眞先生は現在、県立新座総合技術高校に勤務しているが、私のかつての勤務校・川口北高校の卒業生なのだ。
 学年が違っていたので直接教えてはいないと思うが、私の中では教え子ということになっている。
 何度も授業を見に行っている。
 今年5月にも行ってきた。
 
 企画展は11月13日(日)までというから、本人がいるはずの13日に行ってみよう。
 お近くの方はぜひどうぞ(入場無料)。

◆もっとバンバン広めなきゃ
 元教員であるが、元広告業界人でもある私は、広く告知するという意味の広告に結構信頼を置いているのである。
 知られていないは存在しないと同義
 どんなに素晴らしい作品を作ったとしても、その存在が知られていなければ、この世に無いのと同じだ。
 
 作品に自信があるなら、自分の仕事に誇りを持っているなら、どんどん広告しなさい。
 一人でも多くの人に見てもらいなさい。
 自分が有名になりたいとか、そういう話ではない。
 金を儲けたいとか、そういう話でもない。

 作品を鑑賞し、心癒される人がいるだろう。
 勇気づけられる人もいるだろう。
 同じ道を歩もうと心に決める人もいるだろう。

 芸術なんてなくても生きていける?
 何を言う。
 人間が人間らしく生きるために不可欠なのが芸術だろうが。
 音楽も絵画も彫刻も、あるいは小説も詩もない世界を想像してみろ。

 別に、人に分かってもらおうとは思わない。
 見てもらおうとも呼んでもらおうとも思わない。
 自分は自分の好きな作品を作れれば、それで満足。
 という考えの人がいても構わない。
 趣味の世界というやつだ。

 しかし、青木邦眞君は(どうも先生と呼びにくいので)、教師なのである。
 単に美術やデザインのスキルを教えるだけではなく、芸術家としての生き方をも生徒たちに教えるべき立場なのだ。
 これは社会的責任と言ってもいい。
 人は、その能力に応じて社会的責任を果たさなければならないのだ。

 自己満足してんじゃねえぞ。
 どんどん作品を作って、それを一人でも多くの人に見てもらえ。

 と、電話口でまくし立て自己満足に浸る私であった。