知り合いとの会食(昼食)のため池袋へ。
都内在住者から、「遠いところご苦労様です」などと言われたりするが、浦和からは湘南新宿ラインを使えば乗り換え無しの19分だ。
東京都民が埼玉にやって来る理由などほぼ皆無なので、地の果てくらいに思ってるんだろう。
別にそれで構わんが。
立教通りに「リビエラ東京」という結婚式場があり、その中に「茶寮リビエラの庭」というレストランがある。
和食料理である。私のような昭和世代にとって、ここは「白雲閣」なので、そういうことになる。
料理は申し分ないが、昼食としてはいささか値が張るので、年中来るというわけにはいかない。
ふだんはコンビニ弁当で済ませ、ごく稀に奮発するのである。
次に来るのは冬になるだろう。「冬のリヴィエラ」。
私含めて4人の集まりだが、最高齢80代、一番若くて50代。
本人たちそう思っていないが、傍から見れば立派な老人会だ。
ただ、昔話にはならない。
そういうお約束があるわけではないが、4人中3人は今だ現役だからだろう。
急きょ一人欠席になったが、それを含めれば5人中4人がお仕事継続中なので、思い出話に花が咲くというふうにはならない。
今朝、ちょっと驚いたのは、2年ほど前の記事に突然コメントが入っていたことだ。
コメントが入ること自体はたまにあることだが、当該の記事は、
「衰退する老人会、だがここに現代の老人クラブがあった」(2021年9月19日)
というものだ。
ここで言っている現代の老人クラブのメンバー(2人)と会食しようという、その日の朝にコメントが入ったものだからビックリした。
偶然に決まっているが、それにしても何というタイミングの良さ。
見ず知らずの方だが、ネットで検索しているうちに辿り着いたのだろう。
デジタル音痴とかデジタル難民とか、今どきの80代をなめるなよといったところだ。
◆年を取るとできるようになること
本をデジタル出版しようとか、有料セミナーをやろうとか、高齢者揃いとしては、まあまあ前向きな話題が多かったのだが、そんな中、「年を取ってできるようになったこと」という話になった。
加齢によりできなくなったことはいくらでもある。
三日三晩話しても尽きないほどたくさんある。
だが一方、年を重ねることでできるようになったこともあるのではないか、というわけである。
個人的には、「まっ、いいか」と許したり、諦めたりできるようになったことか。
いや、それは進化ではなく退化ではないのかと言われればそうかもしれない。
たしかに欲も無くなってきたし、外からの刺激に対し鈍感になってきた。
この年になって成長するはずもないから、やはり衰えなのかもしれない。
だが、そうとばかりは言えない。
偉そうに聞こえるかもしれないが、先が見えるのである。
どんどん視力が衰えているというのに、それに反比例して、人の心や行動の先が見えるのである。
だから、いろんな場面や状況で、昔なら怒り狂ったり、取り乱したりしていたことも、先が見えているから、「まっ、いいか」と軽くスルーできる。
もちろん霊能者ではないから、すべてお見通しというわけには行かないが、ほぼほぼ結果が予想でき、だいたいそのようになる。
自分でも不思議に思い、同世代やさらに上の人に聞いてみるが、同じようなことを言っている人が意外に多い。
そうか、自分だけじゃなかったんだ。
だとしたら、これは年を取るとできるようになることなのかもしれない。
ただ残念に思うのが、なぜもっと若い時にそれが出来なかったかということだ。
この年になって、そういう力が身についたとしても使い道がない。
使い道のない道具は、ゴミと一緒だ。
しかし、年寄りにとってゴミであっても、若い時に身に付ければ宝にもなり、武器になる。
頭来た、ふざけんな、うるせー、いい加減にしろ、ヤバいどうしよう。
そういったネガティブな感情に支配されそうになった時、「まっ、いいか」といったんスルーしてみる。
年をとると自然体でこれが出来るようになるのを身をもって知ったが、それでは遅い。
皆さんには、ぜひ若いうちにこうした訓練をしておくことをお勧めする。
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