連休明け最初の仕事は県立宮代(みやしろ)高校における職員研修会である。
昨年は同時期にも実施している。
その時のブログ記事はこちらにある。
1年前のこの記事で、私はあえて「宮代(みやしろ)高校」と振り仮名(読み仮名)付きで書いている。
埼玉県63市町村(40市・22町・1村)の中では規模も小さいし、失礼ながら知名度だってそんなに高いとは言えない。だから、もしかしたら「みやしろ」と正しく読めない人もいるのではないか。それで、間違って読まれないようにルビを振る。
いや、それはちょっと人を馬鹿にし過ぎではないか、そう思われる方がいると思うが、大人はそうだとしても中学生はどうか分からない。
このブログの読者の皆さんは長いこと教育関係に携わっている方がほとんどなので、校名が読めない学校などありえないが、中学生となると怪しい。かれらにとって世界とはクラスなのである。かれらの生活圏は半径500mなのである。ちょっと離れたらそこはもう異国なのだ。
であるから、宮代町立百間(もんま)中学校の生徒は「宮代(みやしろ)」と正しく読めるが、杉戸や久喜や春日部の中学生はもしかしたら読めないのではないかと想像してみる。大事なのはこの感覚だ。
自分たちは知られている。
と、自分が思うほどには実は知れらていない。
これは、広報や広告に携わる人が必ず持たなければならない感覚だ。謙虚とか謙遜とか、そういうものとはちょっと違う。出発点における心構えだ。
ここを間違ってしまうと、すべての計画が的外れになってしまう。
そもそも名前が知られていない。
場所もどこにあるか知られていない。
そういう学校が選ばれるはずがない。
名前も場所も知られていないのは存在しないこととイコールであるから選ばれようがないのである。
今日はたまたま宮代高校を引き合いに出しているが、こういう学校かなり多い。嫌われているとか避けられているとかではなく存在そのものが知られていないので選ばれない学校。
6月に塾説あり、学校説明会ありと、広報活動には力を入れているので、結果は必ずついてくるはずだ。

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