人事の季節である。
 埼玉県公立高校の管理職人事は、実質的に2年から3年という極めて短いサイクルで回っている。
 教頭として現場を支え、満を持して校長として着任しても、学校の現状を把握し、自らのビジョンを浸透させようとした頃には、すでに次の異動の足音が聞こえ始める。
 これが公立学校の抗いようのない「構造」である。

 この短期サイクルは、組織の私物化を防ぎ、行政方針を隅々まで行き渡らせるという点では機能している。
 しかし、教育という「実を結ぶまでに時間がかかる営み」において、この断絶は致命的な弱点ともなり得る。
 生徒が3年間かけて成長する一方で、その責任者である校長がそれより短い期間で去っていく。
 このねじれが生む最大の弊害は、組織の「無難な運営」と、現場の「やり過ごし」である。

 「どうせ2年で替わるのだから、大きな波風は立てないでおこう」という管理職の心理。
 「どうせ2年で替わるのだから、やり過ごせば元に戻る」という教職員の心理。
 両者が相俟って、組織からダイナミズムが失われて行く。

◆私立の「一貫性」に学ぶ、公立の生存戦略
 一方で、私立高校は校長が5年、10年、場合によってはそれ以上在任し、建学の精神に基づいた一貫性のある教育を推進することができる。
 これは公立にはない強みだ。
 もちろん、その一方では組織の硬直化というリスクも孕んでいるのだが、その点はさておき、ここで考えるべきは、制度としての任期を変えることではなく、公立のシステムの中に「私立的な一貫性」をいかに擬似的に作り出すかという点にある。

 構造的な弱点を克服するための鍵は、校長個人の「カリスマ性」に頼るリーダーシップを捨てられるかどうかである。
 わずか2年で替わるリーダーが、学校を自分の色に染めようとすればするほど、教職員の反発は大きくなるだろう。そして、たとえそれは乗り越えたとしても、去った後の反動は大きくなるだろう。早い話、たった2年で手がけた思いつきの改革は、次のリーダーにより否定されるのである(あなたがそうしたように)。
 こうして、作っては壊し、作っては壊しを永久に繰り返し、前に進むことがない。

 新しく赴任した校長に課せられたミッションは、自分の色を出すことではない。
 改革を否定するものではないが、より重要なのは、前任者の仕事をいかに継続するかである。
 前任者もたった2年しか滞在しなかったから、もう一代前の校長から引き継いだ仕事のすべてを完成させることはできなかっただろう。
 重要な仕事ほど時間がかかるので、それを二人がかり、三人がかりで完成させる。
 「私立的な一貫性」を作り出すには、この発想を持つしかない。

◆グランドデザインの共有とミドルへの権限委譲
 公立学校がその構造的弱点を克服するために必要な戦略の一つはグランドデザインの共有である。
 校長の頭の中にだけあるビジョンは、異動とともに消える。
 これを学校評議員や地域住民、同窓会などステークホルダーと共有し、学校の長期目標として言語化・明文化しておく必要がある。
 校長が変わっても、「そう言えば、あの計画はどうなりましたか」と問い続ける仕組みがあれば、安易な方針転換は抑制される。

 ミドル層への権限譲渡も有効だ。
 校長がトップダウンで動かすのではなく、教務主任や進路指導主事をはじめとするミドルリーダーが「自分たちがこの学校の文化を作る」という当事者意識を持つ組織文化を醸成する。
 校長は、彼らが描く長期的な改革・改善策を、予算や人事の面で強力にバックアップする「調整役」に徹する。
 たとえトップリーダーが交替しても、比較的在任期間が長い、現場の屋台骨であるミドルリーダーが変わらなければ、改革は継続し、教育の質も担保される。

 1週間後には、多くの公立高校でトップ(校長)が交替する。
 バトンの受け渡し。しっかりお願いします。