昨日アップした記事のデータに誤りがあり訂正した。夜中に読者の方から指摘があった。
 有難いことだ。
 具体的には川越高校の慶応大学現役合格者の数字が違っていた。
 訂正した表に差し替えたことをご報告しておく。

 さて、明日は敬老の日。
 よって、この時期恒例の老人ネタである。
 このブログでは基本的には教育・学校・入試メインの記事を書いているが、時々脱線するのである。
 
 今日のお題は、衰退する老人会
 老人会は、老人会・敬老会・シニアクラブなどとも呼ばれている。
 これだけ老人が多い世の中になったにも関わらず、衰退しているのだそうだ
 この現象は今に始まったものではなく、10年前ぐらいから、この時期になると季節ネタの一つとして新聞等で取り上げられている。
 というわけで、特に目新しい話題ではない。

 超高齢化社会で、大量の老人が発生しているのだから、老人会は大盛況となってよさそうだが、そうはならない。
 ちなみに、老人会は任意の団体ではあるが、老人福祉法(1963年制定)に基づき、地方自治体から補助金が交付されるということだ(金額は僅かだが)。
 
 老人会が衰退する理由の一つは、よく言われる地域社会(コミュニティ)の崩壊である。
 また、60歳を過ぎても現役で働き続ける人が増えたのも一因である。
 ネットの普及により、自ら情報を得て、趣味や講座やサークル活動に参加できるようになったことも大きい。
 企業も、老人相手のこうした活動に目を付け、さまざまな企画提案をしてくるので、そっちの方が面白い。

 だから、そんな時代に、思いっきりダサいネーミングの「老人会」などに、わざわざ会費を払ってまで参加しようというジジイやババアはいないのである。
 今回この記事を書くにあたって調べてみたのだが、公益財団法人全国老人クラブ連合会という全国組織もあって、会員増強運動などを繰り広げているようだが、先の見通しは暗い。
 組織というものは、いったん出来てしまうと、会員増加や会員維持が目的になってしまうことが多いが、それは手段であって目的ではない。
 会員増加のための活動は必要だが、会自体の魅力あっての話である。

◆そうか、これは現代の老人クラブなのだ
 最近私は、あるNPO法人の人々と交流している。
 この法人のメンバーは、大企業OBである。
 まあ社名を聞けば、日本人だったら誰でも知っている「超」のつく一流企業の出身者の集まりであるから、私ごときは絶対にメンバーに入れてもらえない。

 彼らは、自分たちの経験を若い人に伝え、人材育成に貢献したいという目標を持っている。
 そこで、学校等にパイプを持つ私との接点が生まれたわけである。

 で、お付き合いが始まって、私は驚いた。
 彼らは会議が大好き、議論が大好き。
 どんな小さなことでも一つ一つ、「では、みんなで集まって議論をしましょう。意見交換しましょう」となる。

 てめえら、一体いつまで生きるつもりだ
 言っちゃあなんだが、俺より年上だろう。
 人生の残り時間ってものを考えろよ。
 さっさと行動しないと、「お迎え」が来ちゃうぞ。

 この人たちの中には、確かにものすごい経験をしてきた人がいる。
 言ってみれば、世界を相手に切った張ったの戦いをしてきたわけだから、面白くないわけがない。
 どんな場面で、どんな知識や技術や経験が役に立ったのか。
 逆に糞の役にも立たなかったものは何なのか。

 子供たちに今それを言って、正しく理解されるかどうかは分からないが、教室で学んでいることが、世の中とどう繋がっているかは話せるだろう。
 こうした話は、先生方にもある程度はできるが、想像の域を出ない。
 その点、実地にやってきたことだからリアリティが違う。
 おそらく学校側にもこうしたニーズはあるだろう。

 そう思って、この人たちの活動と学校とをリンクさせてあげたいと思っているのだが、如何せん動きが遅い。
 とことん議論してコンセンサスを得ることが大事だという。
 全員がそうというわけではないが、「さっさとやろうぜ」は少数派で、「時間をかけて議論しよう」の多数派に押し切られる。

 しかし、何だってこの人たちは、こんなにも議論が好きなのだろうとずっと考えてきたが、最近ようやく結論が出た。
 ここに集う多くの人たちにとって、この法人は老人クラブなのだ。
 まあ、勇ましい名前を付けているが、要は趣味の会なのだ。
 議論好きが集まって、思う存分武勇伝を語って。
 で、時々はボランティアで学生や生徒相手にセミナーを開いて、「言ってやったぜ」と満足する。

 彼らは、事後の学生のアンケートを見ると好評だったとご満悦だが、こういう場合、主催者側の学校は、「つまんねえ~」「意味ねえ~」といった悪評は省いて講演者にフィードバックするんだよ。
 私も中学生や保護者相手の講演会をやって、後日学校側からアンケート結果が送られてくることがあるが、「いいね!」ばっかり。
 人を招いておいて、悪評を戻すわけない。
 学校の先生はそこまで非常識じゃない。

 と、さんざんこき下ろしてきたが、現代の老人クラブは、それはそれで存在意義はある。
 それで明日への活力が生まれるなら、生きる喜びを感じられるなら、どんどんおやりになればいい。
 家でぐずぐずしていたんじゃ、足腰が弱る一方だ。
 「今日は大事な会議がある」と言って家を出る。
 結構なことじゃないか。

 が、その一方。
 彼らの身体の中には、そのまま墓場に持って行き、灰にしてしまうにはもったいない知識や体験があるのも事実で、これを何とか学校教育の中に生かせないかと考えているところである。