民間人の校長への登用。いわゆる民間人校長。法的には今も可能だが実態としては終わったのかと思いきや、茨城県教育委員会が行っていた。
茨城県は、公立中高一貫や中等教育学校の設置を推進しているが、その校長に民間人を当てようとしている。
昨年まで応募者は少なかったが、今年は民間転職サイトを利用したこともあり、5名募集のところ1673人からの応募があった。
結果の詳細等はコチラ。
「併設型中高一貫教育校等における校長選考試験の応募状況について」(茨城県教育委員会)
結果を見ると、書類選考で61名に絞っている。
倍率は27倍。
というと、かなりの難関と見えるが、ほとんどが「会ってみる必要無し」のゴミエントリーだったということだ。
転職サイトを利用すれば見かけの応募者は増えるが、おふざけも多いから余計な事務を増やすだけだ。
(ちなみに3名採用予定の昨年度は33名の応募で採用は0名)
◆民間人校長に何を期待する?
茨城県の資料には、「校長として、これまでのキャリアで培われたマネジメントのノウハウを十分に発揮し、過去の事例にとらわれない新たな発想に基づく、新しい時代の学校のマネジメントと人財の育成に期待し、今回公募により幅広く募集」とある。
1 新しい時代の学校マネジメント
2 人財育成
民間人校長への期待はこの二つ。
なのだが、この二つは教員出身校長では不可能というわけでもあるまい。
ただ、民間人校長には「これまでのキャリアで培われたノウハウ」があるから、「過去の事例にとらわれない新たな発想」を持ち込んでくれるだろうと期待しているわけである。
◆素人が何言ってるんだ
私は職業人生の前半は公立教員、後半は民間人という者であるが、年数的には民間人の方がずっと長く、公立教員の2倍である。
昔はこのような制度がなかったが、当時目の前に民間人校長が現れたら、「きっと俺たちの知らないものすごい経験をしてきてるんだろうな」と半分ビビったかもしれない。世間知らずを自覚していたのだ。
ただその半面、何かにつけて「民間では」「企業社会では」と言われたら、「そりゃあ企業ではそうかもしれないが、学校はそうは行かないんだよね」という気分になっただろうし、具体的な生徒の指導にまで口を出されたら、「うるせぇ!素人は引っ込んでろ」と現場たたき上げの意地を見せたであろう。扱いにくい教員だったのだ。
◆民間人から見た学校社会
民間人校長が失敗するとしたら、自らの経験を絶対的なものとして、押し付けようとした場合だろう。
取り入れるのはいいが、押し付けてはいけない。
取り入れられるものもあるが、取り入れられないものもある。
そこを峻別できるかどうか。それが正にその人物のマネジメント能力である。
採用面接でそのあたりを見極められるかどうかが勝負だ。
私は民間サラリーマンに転じた後、久しぶりにかつての職場(職員室)を訪ねる機会があった。
その時のショックを未だに覚えている。
まるでスローモーション映画を見ているかのような感覚。
動作がゆっくり、喋りも穏やか。
みんな優しく、大声も怒声も聞こえてこない。
走り回っている人も、焦りまくっている人もいない。
ここは楽園だ。
「こんな楽園を勝手に飛び出した俺は何て馬鹿なんだろう」とさえ思った。
民間人と言っても一つにくくることできず、いろいろな業界、いろいろな企業の経験者が登用されることになると思うが、彼らもたぶん、最初はスローモーション映画を見ることになるだろう。
まあ、だんだん目が慣れてくるが。
◆学校における合理化とは
企業では朝から晩まで、合理化、生産性ということが言われる。
これが体の隅々まで行き渡った民間人から見ると、学校は著しく生産性が低く、合理化が遅れた世界である。
だから、ここは企業を見習ってもいい部分である。
ただし一般に、企業は組織化されており、役割分担がはっきりしている。
ものを生産する人と、それを営業・販売する人と、後処理をする人は別々である。
しかし、学校の先生はそれらを全部一人でやる。
担任やるだけでも大仕事。授業とその準備で一仕事。部活指導で一仕事。
無駄な仕事なんて一つもない。
そこに外から突然やってきて、生産性が低い、合理化が遅れてると言われても、「じゃあ、どうすればいいのよ」となる。
教員だって企業のやり方を知識として知らないわけではない。
教員に向かって「べき論」を垂れたところでどうなるものでもない。
企業のやり方が優れていると思うなら、それが実現できるような環境づくりから始めてもらうしかない。
「キャリアで培われたマネジメントのノウハウ」というのは、そこの話だろう。
◆校長は支店長
校長は偉い人なのであるが、企業的に言うなら支店長や営業所長といった位置づけだ。
公立の場合、ヒトとカネ、つまり人事権と予算編成権は教育委員会が握っている。
校長にあるのはその執行権だ。
校長の責任は世間が考えているよりずっと重い一面もある。
その一方、校長の実際の権限は世間が考えているよりずっと少ない。
民間人校長になろうという人は、自身が経験したであろう「本社が・・・」「上司が・・・」という同じ悩みを経験するのだと覚悟しておいたほうがいい。
しかも今度は、法や規則の裏付けの下に命じてくるのだ。
そこに民間人校長の特権や特例は適用されない。
それともう一つ。
民間人は多数決に慣れていないと思う。
主任、係長、課長、部長、役員と、それぞれに権限がある。
意見は聞くが決めるのは「長」。
これが一般的な企業の姿なのだが、学校社会には、みんなで決める多数決という文化が根強く残る。
上意下達を徹底しようとすれば、教員から反発を受けるし、彼らのモチベーションも低下する。
かと言って、今まで通りでは、「新しい時代の学校のマネジメント」という期待に応えられない。
民間人校長が越えなければならない壁である。
◆面接官にこそ民間人を
ここまでお読みになってお分かりだろうが、私は民間人校長には否定的である。
ただし、全面否定ではなく、制度の一部としてあるのも悪くはないと思っている。
成功例もあるわけだし。
もし民間人を採用するなら、採用担当に民間人を入れるといいと思う。
茨城県の場合はどうなんだろう。
教育委員会の方は、基本先生経験者だから、教員としての適性を見ることには慣れているだろう。
だが、民間人・企業人を図るモノサシは持っていない。
したがって、履歴書や職務経歴書の字面だけで、どこまで人物を評価できるかに不安が残る。
もしかしたら、すでにそういうシステムになっているのかもしれないが、ぜひ検討してもらいたいことだ。
以上。
今日はこれから、超有名企業出身者に会いに行くので、早い時間の記事アップである。
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