楠学問(くすのきがくもん)という言葉がある。
クスノキは生長は遅いが大木となるところから、ゆっくりだが堅実に成長し大成する学問のことを言う。
この言葉を初めて知ったのは30代前半、教員時代だ。
勤務校の校長が入学式か卒業式、あるいは全校集会か何かで述べた言葉だ。
私は社会科が本業だが、式典・集会から宴会に至るまで司会進行を担当することが多い「司会科」教員だったので、人の話は居眠りせずちゃんと聞いていたのだ。
(ウクライナ・ゼレンスキー大統領の演説中、大欠伸していた林外務大臣とは心がけが違う)
校長は学問とは何かを語った。
当面のテスト勉強や受験勉強も大事だが、本来の学問とは結果が出るまで時間がかかるのだ。
目先の小さな結果だけを求めず、将来の大きな結果を求めなさい。
日々の授業において成長の実感はないと思うが、知らず知らずに糧となっており、それは必ずや大成につながる。
いま一度、学びの姿勢について見直してみよう。
という、大変結構なお話だったのである。
よくよく聞けば、どの校長もいい話をしているのだが、たぶん生徒は誰も覚えていない。
というか最初から聞いていない。
ところで。
楠学問と対比される言葉に「梅の木学問」というのがある。
梅は、生長は早いが大きくは育たない。
つまり、梅の木学問とは、小手先の学問、大成しない学問のことを言う。
クソッ。
ここでも梅は分が悪い。
松にも負け、竹にも負け、楠にも軽んじられる梅。
梅はやはり学問とは相性が悪いのか。
という冗談はさておき。
お手軽に知識が手に入る時代、上っ面の知識を得て、学が身に付いたと錯覚しないよう注意しなければならない。
われわれは、梅の木学問に陥っていないか。
皆さんはどうか分からないが、少なくとも私は完全に梅の木学問に終始している。
名前からして、そうなる運命なのかもしらんが、以前はもっと本も読んだし、人の話も聞いた。
どこかにある答えを探すのではなく、自分の頭で答えをひねり出そうと試みた。
だが近頃は、便利さに甘え、上辺だけの知識で満足し、深く掘り下げるということをしなくなった。
私は学者や研究者ではないから、そこまでの必要はないのかもしれないが、利巧になるどころか愚鈍化が進行しているように思える。
もう40年近く前に聞いた言葉だが、「楠学問」ということをもう一度かみしめてみよう。
まあ、年齢からして大成することはないが。
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