本日はこのニュース。
 軽くて洗える制服に ニット素材採用、ブレザーの裾が反射も 深谷高、50周年を機に制服を一新へ(埼玉新聞)

 そうか。深谷も、もう創立50周年か。
 1974年(昭和49年)創立というから、私に縁の深い川口北と一緒だ。
 ちなみに同期は他に、越谷南、志木、所沢北、日高、上尾東などだが、上尾東は今は無い。
 あの頃は生徒急増期で、毎年5校も6校も新しい学校が出来たが、昭和49年は川口北。所沢北、越谷南とあるから、まあまあ当たり年と言っていいだろう。

 川口北もお隣の市立川口の攻勢の前に、人気下降気味であるから、いっそ制服を一新したらどうだ。
 あんまりカッコ良くない。
 と、そんなことを言うと、何で自分の時に変えなかったとツッコみが入りそうだが、私が赴任したのは学校が生まれて3、4年の頃だ。
 さすがにこの時点で制服変えようはないだろう。

◆伝統の制服なので変えられない
 伝統の制服なので変えたくない。変えて欲しくない。
 これは主に歴史ある学校の卒業生から出て来る意見だ。
 まあ、伝統を守りたいという気持ちは何となく分かる。
 だが、守るべき伝統の中に、制服が含まれるかどうかは議論の分かれるところだろう。

 明治時代創立の熊谷や川越は、学生服を廃し、服装自由にしてしまった。
 伝統、伝統と日頃から声を大にする学校だが、学ランは守るべき伝統のうちに入らなかったのだろう。

 男子は詰襟学生服が多く、どこの学校も似たり寄ったりだから、学校のシンボルになりにくい。
 その点、女子校や共学校女子の制服は学校ごとなので、そこに個性や特色が現れやすい。
 それもあって、特に歴史の古い女子校の場合、守るべき伝統の中に制服が含まれてしまうだろう。

 個人的には、制服は守るべき伝統の中に入らんだろうに一票。

 余談だが。
 私は事務所の近所なので毎日浦和一女の生徒を眺めている。
 一女は、休日の部活でも制服登校と決まっているようだ。
 ジャージでよくないか。
 たまには制服にも休みをくれてやれよ。
 ずっと、そう思っているが、よほど制服へのこだわりが強いんだろう。
 制服で選ぶんだったらよそに行ってくれというところか。

◆服装のTPOは教えるべきだろ
 時代による変化はあるが、服装にはTPOがあることは教えておいたほうがいい。
 自由でいいんだとか、個性が大事とか、強制するのは良くないとか、いろいろな言い分もあるだろう。
 最近はやりの言い方をするなら多様性というやつだ。

 話はそれるが、世の中はなんでこんな急に多様になっちまったんだ。
 俺たちの時代は、そんなにも画一的だったのか。
 言葉がなかっただけで、結構多様だったと思うがな。
 まあ、国連大好きの日本だから仕方ないか。

 話を戻す。

 サラリーマンの服装もだいぶ自由になった。
 オフィスや電車に冷房が無かった時代にスーツにネクタイで働いていたサラリーマンが、エアコン完備のこの時代にスーツを脱ぎネクタイをはずして働いている。
 逆じゃねえかと思うが、それが今の時代だ。

 だが、依然として時と場所と場合をわきまえた服装というものは存在する。
 日本だけでなく、外国にもあるだろう。
 世界を知らない私でも、そのくらいのことは分かる。
 グローバルがはやりの時代こそ、服装のTPOは重要だ。

 学校に制服がある時代は、ほとんど必要がなかったが、服装自由が広まった時代には、服装に関する教育が必要になってくる。

◆服装で生徒が集まるようになるか
 生徒募集に関わっている身であるから、服装で生徒が集まるようにあるかについて触れておこう。
 答えは、集まるようになる。
 むろんデザイン次第であるが、それで集まるようになることはある。

 ただし、それらを第一の関心事にしている層が集まるようになるだけで、成績上位層を集めたいのであれば、それにはまったく貢献しない。

 それと、制服一新は今回の深谷のケースを見れば分かるようにニュースに取り上げられやすい。
 人々の関心も集めやすい。
 カリキュラムを一新しましたと言っても、新聞やテレビは見向きもしないが、制服なら取り上げる。
 それにより知名度が高まる。
 結果、希望者が増える。
 
 実は希望者が増えるメカニズムはそういうことであって、制服そのものではない。
 アンケートを取れば、「制服が可愛かったので」という答えが集まる。
 だが、他に思いつくことがなかった子の回答を真に受けてはいけない。

 なので、募集に苦しむ学校が起死回生の策として制服一新を考えるのはやめたほうがいい。
 他に本質的な改革があって、それに花を添えるのが制服一新。
 そういう位置づけである。