今日の訪問校は岩槻の開智(高等部)。中高一貫の開智じゃないほうの開智。仕事関係で直接の取引がない学校なので塾説明会や取材で年に1~2回行く程度だが、校長の宍戸隆一先生には公立高校教員時代から大変お世話になっているし(高校の先輩なので)、募集広報責任者の寿川智博先生は私がバリバリの現役教員であった時に生徒であったので(いわゆる教え子というやつ)、個人的には親近感を持っている。

 今日は新聞の取材だ。
 応対してくれたのは教頭の加藤克己先生。
 進路関係の話がメインだったが、その話は新聞に書くことにしよう。

 一連の取材インタビューが終わったところで、ICT教育が話題になった。
 この学校でも人並みに、いや他校並みに、タブレットなどICT機器の導入は進めている。だが、その分野で先進的な試みをしているとは言い難い。同じ学園に属する開智未来中高が積極的に取り入れているのとは対照的だ。

 なぜか。
 加藤教頭曰く。「タブレットありきではいけない」「大事なのはコンテンツである。われわれは自前のコンテンツ作りを優先している。ほどなくそれが完成する。タブレットはそれが出来た後に一気に導入すればいい」。

 それ、分かる。
 機器を導入すれば話題は取れる。先進的なイメージ作りができる。そして、生徒募集にも何がしかの貢献はある。だが、本当のところ、どれほどの教育的効果が見られるのだろうか。もしかしたら機能に引っ張られ過ぎていないだろうか。

 メーカーや業者が、こんなことができますよ、これもできますあれもできますと導入を勧めてくる。なにしろ、この問題に関しては文部科学省以上に、経済産業省や総務省が積極的なのだ。この裏に利権を求める企業や団体がわんさかいることは、ちょっと考えれば分かることだ。

 機能があれば使ってみたくなる。生徒も喜ぶ(親は出費に泣くかもしれないが)。しかし、それって機械を使わないと出来ないことなんだろうか。昔ながらの方法なら獲得できたはずの能力をかえって失う結果になっていないか。

 自称・授業ウォッチャーの私は、年間でかなりの授業を見学するわけだが、機能に引っ張られ過ぎて、本来の授業目的を見失っているのではないかと思われる授業も少なくない。
 もちろんICTは一過性のブームではなくトレンド(流れ)であるから、機器の導入に反対するものではない。ただ、何をやりたいの? 何のために必要なの?という教育面からの本質的な議論抜きに導入したのでは、保護者に無意味な出費を強いるだけだ。

 まずは導入する。そうすれば先生方が否が応でも使い方を考えるだろう。
 これも一つの考え方で、それでうまく行く場合もある。ただし、ICTとだけ言えば「ほおっ」と感心してくれる段階はすでに終わったのであるから、いま現在、導入が遅れていると自覚している学校は、あわてることはない。しっかりとした教育論から入って行ったほうがいい。

 とは言いつつも、やっぱりプロジェクターも電子黒板もWiFiも、みんな便利だ。これがある時代に先生やりたかった。