身の丈(みのたけ)。いい言葉だね。萩生田文科大臣の発言で一躍脚光を浴びたが、私は好きだよ、この言葉。
 元々は身長のことでしょう。だったら、高いやつもいれば低いやつもいる。もうこの違いはどうしようもない。だから、それに合わせて、無理せず分相応に生きる。

 そりゃ、努力はするよ。当たり前じゃないか。でも、それすらも身の丈に合わせた努力ってことで、決して分不相応な努力はしない。
 
 身の丈に合った仕事。
 もっとデカイ仕事とか、もっと世の中のためになる仕事とか、人から尊敬され賞賛される仕事ができりゃいいけど、自分の身の丈を考えたら、今の仕事がちょうどいい。
 その程度の仕事だから、収入もそれに見合ったもので大したことない。
 収入が決まってくれば、自ずから生活のレベルも決まってきて、住むところも、持ち物も、着るものも、食べるものも、みんな身の丈サイズ。
 ピッタリ合ってる身の丈サイズってサイコーだぜ。

 何か消極的じゃないかい?
 いやいや、そんなことはない。ちゃんと積極的に生きてるよ。身の丈の範囲でね。
 自分に無いもの、自分に欠けたものに、必要以上にフォーカスするのは良くないんだ。
 家柄、財産、容姿、才能。足りないものを言い出したらキリがないじゃないか。だから、そこは身の丈と割り切るんだ。その上で、ちょっとした努力で獲得できるものもあれば、それは頑張ってみる。だから、身の丈というのは決して消極的な生き方ではない。

 私は萩生田大臣を擁護しているわけではない。身の丈を使う場面を誤ったと思っている。それで野党やマスコミから身の丈発言として追及される破目になった。
 結果、身の丈という言葉が否定的にとらえられるようになることを心配しているのだ。
 他人から言われるのはゴメンだが、自らの信条として身の丈に合わせた生き方をするのは、これ以上ない幸せである。
 背伸びして生きてる人。身の丈に合わせてごらん。人生ものすごく楽になるぜ。