文部科学省から「GIGAスクール構想」なるものが発表された(2019年12月19日)。仕事が早めに終わったのだが、関連資料も含めてこれを読むのに時間がかかってしまい、ブログを書くのが遅くなってしまった。
 この構想、マスコミでは「小中学生にパソコン一人一台」といった見出しで報道されたはずだ。まあ、結局はそこに行きつくわけだから、そういう理解でいいだろう。

 ただ、日ごろから元データを当たれと言い続けている手前、自らが実践しないとシャレにならないので時間の無駄と思いつつ我慢して読んでみたわけである。

 「小中学生にパソコン一人一台」は、教育政策ではなく産業経済政策であると2週間ほど前に書いた。産業界のためになるのは確かだが、子供たちのためになるかどうかは分からない。
 本当は、今ここでパソコンのために大金(4000億円以上)を投ずる意味があるかを議論しなければならないのだが、マスコミは大学入試にかかりきりである。
 マスコミは今になって民間企業(ベネッセのことだ)との関係をさまざま書きたて言い立てているが、最初から分かっていた話だ。だが大スポンサーに遠慮して何も言わなかった。そして風向きが変わったら、大声で書き始め言い始めた。

 確かな根拠があるわけではないので妄想と言われても仕方ないが、私は、構造は同じだと考えている。この政策によってIT企業は利益を上げるはずだ。景気対策としてはそれでいいが、教育的に望ましいのかどうかを何故問題にしないのだ。やはり大スポンサーへの遠慮か。
 おそらく数年経ち、風向きが変わったら、導入したものの管理が大変とか、教える側の負担が増えたとか、目に見えた成果が得られていないなどと言いだすだろう。

 ICT教育が無意味とまでは言わない。私が教員を続けていたらタブレットやプロジェクターや電子黒板を使いまくっただろう。単なる道具であるからそれによって生徒に何か特別な能力が育つとは思わないが、授業の効率化には役立つ。
 情報リテラシーも高めておいたほうがいい。犯罪から身を守る方法は教えておいたほうがいい。

 が、それにしても、小学生低学年にまでパソコンを使わせる意味はどこにあるのか。どんな時代になってもたくましく生き抜く力を身に付けさせたかったら、便利な道具の使い方を教えるより、原理原則を教えてやったほうがいい

 機械でやれば一発でできることを、わざわざ遠回りして手を使ってやる。原理原則を知るためだ。基礎基本を身に付けるためだ。
 会社ではそういうバカな真似はしないが、学校は生産性向上を目的としないから、そういった非効率も許される。

 先行きが不透明なのはいつの時代も同じだ。50年以上前、私が小学生だったころ、誰か「将来はパソコンが必要になるからやっておけ」と言ってくれたか。誰も言わなかったし、教えてくれなかった。そもそもパソコンという概念がなかったのだから当然だ。
 しかし、そういう教育を受けた人たちが今のIT社会を作った。

 50年後、「昔はパソコンというひどく不便な機械を使ってたもんだ」と言われるかもしれない。いや、必ずそう言われる。残念なのはそれが証明されたとき、私がもうこの世にいないことだ。

 今を基準に将来はこうなると予想し、そのために必要と思われる知識や技術の習得をしようとするのは、実は大変リスキーなことなのである。
 では、一番の安全策は何か。
 だから言ってるでしょう。原理原則を学ぶことですよ。いかようにも応用が利くからね。